天津事件に経緯を通じて英国に対する陸軍の対応が喧嘩腰であることは前回5月26日に半藤一利氏の「昭和史1926―1945」から見ていきましたが今回はこの続きで排英反英運動の反応を見ていきます。
以下、半藤一利氏の「昭和史1926―1945」より
これが日本の新聞に大きく書かれますと、反英の空気が高まっている時ですから、国民は「泥沼の日中戦争の後ろにはイギリスがいるのだ」(実はアメリカもいるのですが)、まことにけしからん、この際イギリスの援蒋政策を放棄させてアジアから追い出せという強硬論を吐き、国内が蜂の巣をつついたように沸(わ)くのです。
一方では親独感情から、日独伊三国同盟を早く結べというシュプレヒコールが乱れ飛びました。
昭和天皇はこの事態を非常に憂慮し、七月六日、平沼首相を呼んで、
「反英運動はなんとか取り締まることはできないのだろうか」と言いましたが、平沼は「とても困難です」と答えるので、重ねて天皇が、「排英論に対する反対の議論を広く国民に聞かせることはできないか」と、
一方的な排英反英の論ばかりでなく、国民に少しはそうでない論も聞かせてやったほうがいいのではないかと言いますと、平沼は、「それは内務大臣の木戸幸一に相談してみましょう」ととりあえず答えました。
ところが、平沼が木戸にそう言いますと、木戸は「とんでもない、親英派などは早く第一線から追い払えばいいのだ」と言う始末。
英国と日本がいかにあるべきかなどという論など不要、中途半端に排英反英運動を抑えたりするからかえって悪く爆発するのだ、ここは徹底的にゆるめて、やるだけやらせてからいつか徹底的に弾圧しましょうと言ったというのです。
この木戸の無責任な言葉の裏には、へたに抑えればまた二・二六事件のような陸軍クーデタが起こる、という幻影があったと思います。
また、この排英反英運動の裏にはどこかから金が出ているようだ、それは陸軍からではないか、という噂(うわさ)も飛び交います。
これを聞いた山本五十六は「そういう事実があるなら陸軍をとっちめてやらねば」と。
それがまた新聞に出ると物議を醸(かも)すといったようなことで、七月を迎えノモンハンでは日本軍がソ連軍の猛反撃を受けてガタガタと崩れはじめた頃、国内もただならぬ事態になっていたのです。
しかも要人暗殺容疑の逮捕者が次から次へと出ていました。
上記は半藤一利氏の「昭和史1926―1945」より引用いたしました。
イギリスに対して反感を強めていく上でアメリカの動きをどのように見ていたのでしょうか、外交感覚ということを考えるとドイツだけしか目に入っていなかったように思われます。
排英反英ということに外交面において成算があったのでしょうか、次回にこの辺りの事情を見ていきます。
今日は以上です。
以下、半藤一利氏の「昭和史1926―1945」より
これが日本の新聞に大きく書かれますと、反英の空気が高まっている時ですから、国民は「泥沼の日中戦争の後ろにはイギリスがいるのだ」(実はアメリカもいるのですが)、まことにけしからん、この際イギリスの援蒋政策を放棄させてアジアから追い出せという強硬論を吐き、国内が蜂の巣をつついたように沸(わ)くのです。
一方では親独感情から、日独伊三国同盟を早く結べというシュプレヒコールが乱れ飛びました。
昭和天皇はこの事態を非常に憂慮し、七月六日、平沼首相を呼んで、
「反英運動はなんとか取り締まることはできないのだろうか」と言いましたが、平沼は「とても困難です」と答えるので、重ねて天皇が、「排英論に対する反対の議論を広く国民に聞かせることはできないか」と、
一方的な排英反英の論ばかりでなく、国民に少しはそうでない論も聞かせてやったほうがいいのではないかと言いますと、平沼は、「それは内務大臣の木戸幸一に相談してみましょう」ととりあえず答えました。
ところが、平沼が木戸にそう言いますと、木戸は「とんでもない、親英派などは早く第一線から追い払えばいいのだ」と言う始末。
英国と日本がいかにあるべきかなどという論など不要、中途半端に排英反英運動を抑えたりするからかえって悪く爆発するのだ、ここは徹底的にゆるめて、やるだけやらせてからいつか徹底的に弾圧しましょうと言ったというのです。
この木戸の無責任な言葉の裏には、へたに抑えればまた二・二六事件のような陸軍クーデタが起こる、という幻影があったと思います。
また、この排英反英運動の裏にはどこかから金が出ているようだ、それは陸軍からではないか、という噂(うわさ)も飛び交います。
これを聞いた山本五十六は「そういう事実があるなら陸軍をとっちめてやらねば」と。
それがまた新聞に出ると物議を醸(かも)すといったようなことで、七月を迎えノモンハンでは日本軍がソ連軍の猛反撃を受けてガタガタと崩れはじめた頃、国内もただならぬ事態になっていたのです。
しかも要人暗殺容疑の逮捕者が次から次へと出ていました。
上記は半藤一利氏の「昭和史1926―1945」より引用いたしました。
イギリスに対して反感を強めていく上でアメリカの動きをどのように見ていたのでしょうか、外交感覚ということを考えるとドイツだけしか目に入っていなかったように思われます。
排英反英ということに外交面において成算があったのでしょうか、次回にこの辺りの事情を見ていきます。
今日は以上です。