日独伊三国同盟に対して陸軍は同盟締結に向けて賛成という立場でしたが海軍も対英米強硬派が増えてきた中で米内光政・井上成美・山本五十六の三人が三国同盟に反対し対英米協調という考え方を堅持していました。

当時、海軍次官であった山本五十六が三国同盟に対してどのように感じていたか、をいつもの様に半藤一利氏の「昭和史1926―1945」から前回4月28日続きで見ていきます。

以下、半藤一利氏の「昭和史1926―1945」より

山本次官は強硬派の面々に対してきちんとした文書で疑問を呈し、回答を求めています。

「一、独伊との関係の強化は、対中国問題処理の上、かえって対英米交渉に不利にならずや」
つまり中国との戦争をなんとか和平の方向にもっていこうと努力している時にドイツやイタリアと同盟を結べば、なおさら和平工作が不可能になるのではないか。
「ニ、日独伊ブロックに対し、米英仏が経済的圧迫をなした時の対抗策ありや」
日本がドイツやイタリアと同盟を結べば、必然的にアメリカ、イギリス、フランスが日本に対して経済的な圧迫を加えてくるに違いない、その時、日本に対抗策はあるのか。
「三、日ソ戦の場合、独より実質的援助は期待せられざるべく、かく実質なきものは無意味にあらざるや」
ソ連と戦争になった場合、ドイツからの実質的な援助が期待できるのか、嫌(いや)だ言う可能性は多い、こんな実質のない条約は無意味ではないか。
「四、本条約を締結するとせば、独伊に中国の権益を与えざるべからざるに至るなきや」
同盟を結べば、ドイツ、イタリアは中国に対する権益の一部をよこしてくれと言ってくるに違いない。
同盟ですから当然ですね、その時には大丈夫なのか。

考えれば、このトリオの反対のなされている時が、昭和史のまだ常識的というか賢明というか、かろうじて正常を保っている時であって、これ以後、狂いはじめてゆくのです。

それにしても、日本の海軍は、もともとイギリスに多くを学んできたのです。
たとえば日露戦争は日英同盟が背景にあったから非常に有利に戦えました。
また軍艦もすべてイギリスのものを買ったり技術を学んできました。
それがなぜ関係がまずくなったのは前に話したとおり、第一次世界大戦以後のいろいろな事情のためなのですが、その代りにドイツが突然出てきたのはどういうわけか。

上記は半藤一利氏の「昭和史1926―1945」より引用いたしました。

日独伊三国同盟を締結することは米英との衝突につながる危険を山本次官は具体点を挙げて疑問視していたことが上記の内容から窺えますが、結果的に三国同盟が戦争を誘発したことを思えば日本にとって具体的なメリットがないにも関わらず推進されたのはなぜなのか、ということを次回は見ていきたいと思います。

今日は以上です。