昭和維新という昭和六年から昭和十一年の二・二六事件にいたる昭和動乱期の思想と人について葦津珍彦氏の「武士道(戦闘者の精神)」から前回4月22日に続き見ていきます。

以下、葦津珍彦氏の「武士道(戦闘者の精神)」より

磯部大尉は二・二六幹部の中でも、もっとも熱烈な北一輝「改造法案」の信者であり、この「法案」の反対者を、絶対に許さないとして、つぎのように書いている。

余の所信とは日本改造法案大綱を一点一角も修正することなく之を完全に実現することだ。
法案は絶対の真理だ、余は何人と雖も之を評し、之を毀却することを許さぬ。―
日本の道は日本改造法案以外にはない。
絶対にない。
日本がもしこれ以外の道を進むときには、それこそ日本の没落の時だ。
明かに言っておく、改造法案以外の道は、日本を没落せしむるものだ―高天ケ原への復古革命論者―共産革命か復古革命かが、改造法案以外の道である。

磯部が「法案」を、このような信念をもって護持するかぎり、かれの立場は、二・二六以前の諸事件の指導者との間には「死闘」のほかないことになろう。
北一輝氏は、その法案の中で、かれの独自の国体観を論じ、現代の日本を近代的民主国なりと断定し、
「此ノ歴史ト現代トヲ理解セザル頑迷国体論者ト欧米崇拝者トノ争闘ハ実ニ非常ナル不祥ヲ天皇ト国民トノ間ニ爆発セシムル者ナリ」
と書いているが、血盟団から五・一五をへて神兵隊にいたるまでの人には、北イズムの立場からいえば、かれのいわゆる「頑迷国体論者」、磯部のいわゆる「復古革命論者」が圧倒的に多かったのは疑いの余地がない。
それは日本を没落させる道であって許せないと宣言される。
しかし磯部の前記の思想は、必ずしもニ・二六関係の全将校を代表するものではない。

末松太平氏の『私の昭和史』に詳しく説明されているように、指導的将校の中にも「改造法案」の北イズムに批判的な人もあったし、まったく無縁の人も少なくなかった。

このように、この時代の維新派の思想は、錯綜し混線している。
これを現代の新しい世代の人が、文書を調査し分析して歴史的に研究しても、非常にわかりにくいと思う。
そこで、ここには、その時代の思想の潮流系列なり特徴なりを、整理して理解するために、いささか私見を述べたいと思う。

上記は葦津珍彦氏の「武士道(戦闘者の精神)」より引用いたしました。

昭和維新という考え方において事件と、その思想を次回、時代を追って見ていくこととしますが第一次世界大戦後の国際情勢と日本の国力・進路における対立が思想的な見解を異にして激化していったものと思います。

今日は以上です。