ナチスドイツから提案された日独伊三国同盟にたいして陸軍の考え方は前回4月21日に見てきましたが海軍の方はどうだったのでしょうか、いつものように半藤一利氏の「昭和史1926―1945」から前回4月21日の続きで見ていきます。
以下、半藤一利氏の「昭和史1926―1945」より
ところが同盟の内容をみると、確かにソ連に対してははっきりしているのです。
もしドイツとソ連が戦争をした場合、日本はすぐにでも参戦すると。
しかしドイツがもしイギリスやアメリカと戦争になった場合はどうするか、その時は一般情勢を合わせ考えながら決める、というように、ソ連を含まない戦争への態度は非常に曖昧(あいまい)で、武力援助もするかどうかもはっきりさせないまま、つまり肝心要(かんじんかなめ)のところを曖昧にしたまま同盟をなんとか結ぼうとしていたのです。
ドイツはそんなことは許しません、軍事同盟ですから、こちらが戦えばそちらもすぐ参戦すべきだ、相手がアメリカだろうがイギリスだろうが関係ないといいます。
日本は、ソ連はともかく、できればアングロサクソンとは戦いたくないのでどうかしてごまかしたいと、もたもた返事を延ばし、外交的にドイツの不信を買うわけです。
一方、国内では早く結べと大騒ぎになり、また海軍の中にも親独派、対英米強硬派がたくさんいました。
前に話しましたように、海軍はロンドン軍縮会議での統帥権干犯(とうすいけんかんぱん)騒動を境にいわゆる艦隊派と称せられる対米強硬派が天下を取り、どちらかというとアングロサクソンと協調しようという人たちは追い出されてしまい残ったのはいかにも少数派でした。
従って海軍内部でもかなり、三国同盟推進の勢いも強かったのです。
これに頑(がん)として立ちふさがったのが、米内・山本・井上トリオです。
この三人のことを作家の阿川弘之(あがわひろゆき)さんが三部作(『山本五十六』『米内光政 上・下』『井上成美』)に書き、うんと褒(ほ)め上げたため、海軍はまことに良識的かつ開明的で、戦争をなんとか食い止めようと苦心したのに陸軍のバカさゆえ戦争に突入したという、陸軍悪玉・海軍善玉説が戦後流行(はや)りました。
が、実は海軍内部はそんなものではない。
軍令部総長伏見宮様を頭に戴(いただ)くところのいわゆる反英米派である艦隊派が海軍中央にいました。
軍務局第一課長岡敬純(おかたかずみ)大佐を筆頭に、作戦課神重徳(かみしげのり)中佐、柴勝雄(しばかつお)中佐――これらの名前は後でまた出てきます――それから軍令部第一部(作戦部)直属部員横井忠雄(よこいただお)大佐、駐独武官小島秀雄(こじまひでお)大佐らは、防共協定などではなく三国同盟への拡大強化論をぶつのです。
それでも米内・山本・井上トリオは、外部に対してだけでなく、内側に対しても頑強(がんきょう)でした。
断固として三国同盟には反対で、下克上をおさえつつ、いわゆる海軍本来である対米英協調の方針を貫きました。
上記は半藤一利氏の「昭和史1926―1945」より引用いたしました。
三国同盟の内容そのものよりも当時のナチスドイツの勢いに惑わされたのではないでしょうか、このような動きに対して米内・山本・井上の海軍トリオが三国同盟に反対したのは軍縮条約から脱退した経緯などからナチスドイツと結ぶことは英国、米国と敵対することになる懸念を強く感じていたように思います。
三国同盟に反対する海軍トリオをサポートする政治家や外交官はいなかったのでしょうか、次回もこの続きを見ていきます。
今日は以上です。
以下、半藤一利氏の「昭和史1926―1945」より
ところが同盟の内容をみると、確かにソ連に対してははっきりしているのです。
もしドイツとソ連が戦争をした場合、日本はすぐにでも参戦すると。
しかしドイツがもしイギリスやアメリカと戦争になった場合はどうするか、その時は一般情勢を合わせ考えながら決める、というように、ソ連を含まない戦争への態度は非常に曖昧(あいまい)で、武力援助もするかどうかもはっきりさせないまま、つまり肝心要(かんじんかなめ)のところを曖昧にしたまま同盟をなんとか結ぼうとしていたのです。
ドイツはそんなことは許しません、軍事同盟ですから、こちらが戦えばそちらもすぐ参戦すべきだ、相手がアメリカだろうがイギリスだろうが関係ないといいます。
日本は、ソ連はともかく、できればアングロサクソンとは戦いたくないのでどうかしてごまかしたいと、もたもた返事を延ばし、外交的にドイツの不信を買うわけです。
一方、国内では早く結べと大騒ぎになり、また海軍の中にも親独派、対英米強硬派がたくさんいました。
前に話しましたように、海軍はロンドン軍縮会議での統帥権干犯(とうすいけんかんぱん)騒動を境にいわゆる艦隊派と称せられる対米強硬派が天下を取り、どちらかというとアングロサクソンと協調しようという人たちは追い出されてしまい残ったのはいかにも少数派でした。
従って海軍内部でもかなり、三国同盟推進の勢いも強かったのです。
これに頑(がん)として立ちふさがったのが、米内・山本・井上トリオです。
この三人のことを作家の阿川弘之(あがわひろゆき)さんが三部作(『山本五十六』『米内光政 上・下』『井上成美』)に書き、うんと褒(ほ)め上げたため、海軍はまことに良識的かつ開明的で、戦争をなんとか食い止めようと苦心したのに陸軍のバカさゆえ戦争に突入したという、陸軍悪玉・海軍善玉説が戦後流行(はや)りました。
が、実は海軍内部はそんなものではない。
軍令部総長伏見宮様を頭に戴(いただ)くところのいわゆる反英米派である艦隊派が海軍中央にいました。
軍務局第一課長岡敬純(おかたかずみ)大佐を筆頭に、作戦課神重徳(かみしげのり)中佐、柴勝雄(しばかつお)中佐――これらの名前は後でまた出てきます――それから軍令部第一部(作戦部)直属部員横井忠雄(よこいただお)大佐、駐独武官小島秀雄(こじまひでお)大佐らは、防共協定などではなく三国同盟への拡大強化論をぶつのです。
それでも米内・山本・井上トリオは、外部に対してだけでなく、内側に対しても頑強(がんきょう)でした。
断固として三国同盟には反対で、下克上をおさえつつ、いわゆる海軍本来である対米英協調の方針を貫きました。
上記は半藤一利氏の「昭和史1926―1945」より引用いたしました。
三国同盟の内容そのものよりも当時のナチスドイツの勢いに惑わされたのではないでしょうか、このような動きに対して米内・山本・井上の海軍トリオが三国同盟に反対したのは軍縮条約から脱退した経緯などからナチスドイツと結ぶことは英国、米国と敵対することになる懸念を強く感じていたように思います。
三国同盟に反対する海軍トリオをサポートする政治家や外交官はいなかったのでしょうか、次回もこの続きを見ていきます。
今日は以上です。