経験から学ぶことは大切なことですが過去の成功体験だけに頼っていたとしたら、今回はこの様なことを半藤一利氏の「昭和史1926―1945」から前回、去年の12月24日 続きで見ていきます。


以下、半藤一利氏の「昭和史1926―1945」より


もはや軍縮会議から脱退するほかはないという機運になった昭和九年十月、軍艦の建造や修理など全般を統括する海軍艦政本部に、たいへんな要求が軍令部から出されました。

「四十六センチ主砲八門以上、速力三十ノット、パナマ運河を通れない超大戦艦を建造すべし」


四十六センチ主砲というのは言葉ではイメージしにくいのですが、ふつうの戦艦の主砲は四十ないし四十二センチです。

それでも弾は三万五千メートル飛びますが、四十六センチになりますと四万メートルは飛びます。

ものすごい大きな弾で、それを積むのですから必然的に戦艦の長さも幅も大きくなる、するとパナマ運河は通れない。

ということは、アメリカにすれば太平洋と大西洋の間を行ったり来たりできなくなります。


大西洋にいたものを太平洋に持ってくるには南米大陸をずーっと回ってこなくてはなりませんから、とんでもない時間を食います。

たいそう不利なことになる。

だから日本軍は絶対にアメリカに負けない、必ず優勢になる、と考えたのです。


こうして、軍縮条約脱退と同時に超大戦艦の建造がはじまり、それが後の戦艦大和、武蔵になりました。

これらの戦艦は極秘のうちに造るのですが、かりに完成直前にアメリカに知られたとしても、急に対抗したとて一年以上も日本は優位に立てると踏んでいました。


海軍は、日米の戦艦がぶつかり合って相手を撃滅するという、日露戦争の日本海海戦を思い描いていたのです。


敵の大砲が届かない距離からも届く戦艦の大砲で敵を潰(つぶ)してしまおうという、まことに華々しく夢みたいな話で、よく言うように「軍人は常に過去の戦争を戦う」のであって、過去の戦争だけを手本とし、兵器の進歩や世界情勢の変化を予測することはほとんどないのです。


上記は半藤一利氏の「昭和史1926―1945」より引用いたしました。


日露戦争の日本海海戦の勝利イメージが日本海軍にこびりついていたのかも知れませんが、過去の成功体験に頼るというのは現在にも当てはまることではないでしょうか


今日は以上です。