物事は自分の都合のよい様に動くと考え都合の悪いことは考えない、ということは戦前の軍部だけではなく、現代にも見られるように思います。
それでは、いつもの様に半藤一利氏の「昭和史1926―1945」から前回12月17日 の続きで見ていきます。
以下、半藤一利氏の「昭和史1926―1945」より
後にもしばしば出てくる海軍軍人、石川信吾中佐がまだ軍縮条約が守られていた昭和八年十月、「次期軍縮対策私見」という長文の意見書を提出しています。
簡単にいいますと、
「満州事変を機に、日米のアジア政策は正面衝突し、アメリカは東洋進攻作戦に必要な諸般の準備を着々と進めている。
さらには英国およびソ連も陰に陽にアメリカを支援しつつある。
この時、それに対抗し、侵略意図を不可能にするためには、軍縮条約から脱退し、兵力の均等をうることが絶対条件である」
軍縮条約からの脱退を強く訴え、脱退しても大丈夫だと断言するのです。
日本の産業も文化も長足の進歩を遂げており、満州の経営もうまくいっているのだから、無条約時代に入っても心配ない、これをチャンスととらえ、パナマ運河を通れないような超大戦艦を五隻建造し、これを中心とする日本の国情に合った効率のいい軍備を充実することで、アメリカに対する勝算は確実に得られるのだ、と説くのです。
この意見書に代表される海軍中堅クラスの対米英強硬論に、誰も彼もが同意しだしました。
その背景には、
「ワシントン会議は結局アメリカの勝利、日本の敗北であって、ルーズベルト以来のアジア戦略政策が成功した結果なのだ。
またロンドン軍縮会議はアメリカに関する限り軍縮ではなく軍拡であり、日本を屈服させてのアメリカの平和維持なのだ」という考えがありました。
要するに日本は国際協調だなどといい気になっているが、実際はアメリカの思う通りにアゴで使われている大敗北だというのですね。
ゆえに「naval holiday」は日本にとっては全く鬱屈(うっくつ)した気分だったというわけです。
上記は半藤一利氏の「昭和史1926―1945」より引用いたしました。
思い込みによる都合のよい部分を膨らませたところにパナマ運河を通れない超大戦艦というイメージが出て来たのかも知れませんね。
今日は以上です。