葦津珍彦氏の「武士道(戦闘者の精神)」という本から動乱期の思想と人物に焦点を当てながら見ていますが日露戦争前後の情況を前回11月20日 の続きで見ていきたいと思います。


以下、葦津珍彦氏の「武士道(戦闘者の精神)」より


レーニンは、ヨーロッパとアジアの対決を重視する。

だが日本がロシアに勝ち、朝鮮を併合し、やがて欧州列強とともに世界大戦に参加するころになると、日本をヨーロッパ列強と同質の帝国主義列強の一つとして明確に敵視した。


レーニンにしてみれば、この変化は革命的弁証法の当然の発展なのである。

大正時代の日本帝国と日露戦役当時の日本帝国とでは国際政治上の地位、役割がまったく異なるのだ。

少なくとも明治三十年代の時点においては、レーニンの立場は、幸徳よりもはるかに内田良平にちかい。


孫文の立場もレーニンに似ている。

かれは日本の勝利を熱心に希望した。

かれは日本の積極外交が、東洋解放に大きく役立つことを公認し言明した。

しかし朝鮮合邦後は、日本に対してもいささか批判的となり(孫文『三民主義』)、大正の末年には、日本帝国から遠ざかっていく。


レーニンや孫文は、明治三十年代の日本が、中江兆民のいうところの「真の武を雄張し」内田のいうところの「仁義の師」をおこす資格のあるのを認めた。

しかして、幸徳流の「一般平和論」を空語とした。


幸徳は、ただ二十世紀の世界文明を一般的に論じているだけで、その時点におけるヨーロッパ対アジア、アジア対日本の現実的な生きた政治認識がない。

それは第二インターとトルストイイズムの抽象的公式、翻訳思想の移入にすぎない。

ちかごろ日本では、幸徳の「帝国主義」論を、レーニンの先駆的な思想だなどという者があるが、地下のレーニンは苦笑を禁じえまい。


あのような理論は、1900年代のドイツやフランスには無数にころがっている。

それは、著者幸徳がよく知っている。

幸徳はこの著が、翻訳的で、独創的でないことをみずから認めて、ことさらに「著」と書くのを遠慮して「述」とすることを特記している(「帝国主義」巻頭に幸徳みずからが例言三則の中で書いている)。


私は、幸徳のこの書を、翻訳移入思想にすぎないからとて、ただの空語とも思わない。

以下、内田の「露西亜論」と対比しつつ、その積極的な意味をも認めたいと思う。

内田の「露西亜論」は、かれの鋭い独創力と直観力を示している。


上記は葦津珍彦氏の「武士道(戦闘者の精神)」より引用いたしました。


幸徳秋水、内田良平の考え方・見方が左右両翼の源流となっていくとしたら露西亜に対する見方によるものでしょうか。

次回を見ていきたいと思います。


今日は以上です。