レーニンの日露戦争の早期講和を求める声に対してどの様な考え方をしていたのかを見ておくことはロシア革命を知る上で必要なことのように思います。

それでは、いつもの様に葦津珍彦氏の「武士道(戦闘者の精神)」から前回11月13日続きを見ていきます。


以下、葦津珍彦氏の「武士道(戦闘者の精神)」より


このようなレーニンやゲードの態度に対して、ロシアの社会主義者の間には反対がある。

反対者の論旨によれば、ゲードやレーニンは日本ブルジョアジーを支持しているが、社会主義者は日本の労働階級を支持すべきであり、戦争をぜひとも速かに終結させることを要求すべきだというのである。

これは新「イスクラ」=メンシェヴィキの理論であるとともに、新「イスクラ」と連絡したわが「平民新聞」の理論とも通ずる。


レーニンは、新「イスクラ」の理論が「平和一般」を要求しているのを無意味な混乱として非難する。

かれは日本ブルジョアジーの進歩的役割とロシア・ツァーリズムの反動性とを区別しえない者を鋭く軽蔑した。

かれは、社会主義的革命家であり、日本のブルジョアジーを無条件的に信頼し支持するのではない。


ロシアのツァーリズム、反動的ヨーロッパと対決する限りにおいて進歩的アジア、日本ブルジョアジーを支持する。

かれは、「日本でもイギリスでもドイツ、イタリアでも」労働階級の党が、そのブルジョア支配に反抗して、武装革命を欲することを一般的に認めねばならないと論じている(1905年2月)。


とくにかれは、ロシア革命の準備に熱中している。

しかし「ぜひとも講和を」要求しようとする新「イスクラ」の態度は、無意味なばかりでなく、それは革命の危機から脱出しようとするツァーリズムの利益をはかり、反動勢力に利用されるだけにすぎないと反論した(レーニン「1905年、ツァーリの講和」)。


ブルジョアジーは戦争をするが、適当な時期に講和することを考えている。

「ぜひとも講和を」との新「イスクラ」は、ツァーの講和政策に奉仕するにすぎないというのである。


レーニンは、「平民新聞」に反して「旅順陥落」の意義を、日本の勝利を、決定的に重大な世界史的意味を有するものと判断した。

かれは日本の「平民新聞」を見ていないらしい。

しかしかれが日本の実情をよく知っておれば、「平民新聞」の〝ぜひ講和を〟との主張を「伊藤院外団」の理論として冷嘲しかねないのである。


以上は葦津珍彦氏の「武士道(戦闘者の精神)」より引用いたしました。


レーニンはロシア革命という目的に対して状況を有利に運ぶためには日露戦争の早期講和は帝政ロシアの延命に手を貸すだけと見ていたようです。

今日は以上です。