中国大陸における点と線の戦争を半藤一利氏の「昭和史1926―1945」から前回10月29日
の続きで見ていきます。
以下、半藤一利氏の「昭和史1926―1945」より
さらに中共軍は、「空室清野」(家を空にして、食糧を隠す)、「両平三空」(人と飲物と食物の三つを隠す)の二大戦略を民衆に徹底させましたから、日本軍が入って行くと家の中は空っぽで、食べ物など何もない。
行けども行けども若い女の子もいなければ飲物も食べ物もない。
攻撃してやっと占領しても村は空っぽ、しょうがないから引き揚げるとそこへだっだっだっと中国軍や民衆が入ってくる。
これは有名な話ですが、蒋介石が合同軍事会議で中共軍の将軍に「八路軍(共産軍)は遊んでばかりいて撃たないというじゃないか、延安には一人の負傷者もいないというが本当か」と噛みついたそうです。
つまりこういう状況下に日本軍は戦っていたわけです。
まあ、他人の国で戦争をしているのですから当然のことながら、ゲリラやテロで大変な苦労をしたと思います。
ただ、非常にいい話もいくつも残っているんです。
昭和十五年(1940)、河北省無極の郊外に
そこへ日本軍のある中隊が進撃してきて自警団団長と話し合い、決して日本軍は不法なことはしないというのでたいへん仲良くなり、中共軍が攻撃をかけてきた時には日本軍と一緒になって追っ払ったというような話が残っています。
この村と近所の村は日本軍と和気あいあい、実にいい関係だったのですが、その中隊が交替し、後に来たのが規律のよくない中隊でたちまち自警団を裏切り、今度は逆に、自警団が中共軍と手を組んで日本軍を追い出したという事実が残されています。
作家の伊藤桂一さんがこの話を詳しく書いています。
部隊によって、いい中隊長小隊長がいると、いくらでも中国民衆と仲良くなれたのは事実のようです。
上記は半藤一利氏の「昭和史1926―1945」より引用いたしました。
日本軍部隊の考え方で不毛な戦いを避けながら和平の道を探る方法がなかったのか、という感じがします。
今日は以上です。