内田良平の「露西亜論」にはロシア革命に対する援助としての対露戦という意識があったようで、この辺りを葦津珍彦氏の「武士道(戦闘者の精神)」から前回10月23日
の続きで見ていきます。
以下、葦津珍彦氏の「武士道(戦闘者の精神)」より
この革命援助は、移民政策その他の平和的方法を通じて行なわれるが、最後の決断としては「対露戦争」をも辞せぬとの強硬な主張となる。
しかも、著者は軍事的にも詳細にロシア帝国の恐るるに足らざることを論じているが、必ずしも対露戦は勝利を予約されているとはかぎらない。
しかも著者はつぎのような烈々たる革命援助戦争論を主張している。
吾人にして万一正義の為めに蛮露と戦ふて倒れたりとせん乎(か)後世の史家は、必ずや書して曰はん、二十世紀の劈頭に日本民族なるものあり、不幸なる巨億の蛮人を救済せんが為めに健気にも仁義の師を興し、終に健闘して強敵の滅ぼす所となると。
是れ実に名誉の敗亡なり。
豈に夫の喪家の狗輩と日を同ふして語るべけんや、吾人は是を以て愈々益々文明の進軍を勧めずんばあらざるなり(前掲書)。
この論の当否は、しばらく措き、ここには、青年志士内田硬石の烈々たる気魄が沖天の勢いを示している。
日露戦役の歴史的性格は、きわめて複雑ではあるが、この戦役に際しては欧米諸国民の間に、異常な親日熱の存在したのは事実である。
そこには日本軍をもって「健気にも仁義の師を興し」「名誉の敗亡」を賭して戦いつつある「文明の進軍」であるとの信頼感があったのであろう。
前掲内田の文を見て、日本国の現実的国利を度外視したロマン的な理想主義と解するときには、歴史の真を誤ることとなろう。
内田の真精神は、侠骨日本人の活動によって、革命の理想が達せられることが、同時に大陸経営を志す日本の国家目的とも一致すると信じたのである。
ロシアの革命は、ロマノフ王朝の不合理なる侵略的外政に反対せねばならない。
上記は葦津珍彦氏の「武士道(戦闘者の精神)」より引用いたしました。
内田良平によるロシア革命における日本との関係をロシア帝国の侵略政策に対抗する革命援助という形での日本人の役割を「露西亜論」の中で展開しているのが特徴的だと思います。
今日は以上です。