内田良平の「露西亜論」には日本人及び日本の役割というものに対して言及しているのは内田良平という人物の真骨頂と言えるのかも知れません。
内田の真骨頂とは何か、を葦津珍彦氏の「武士道(戦闘者の精神)」から前回10月16日
に続いて見ていきます。
以下、葦津珍彦の「武士道(戦闘者の精神)」より
人民の間に革命勢力が大きくなれば、その革命は、国際的にも後援されることが期待される。
しかしながら、著者内田硬石の見るところでは、西欧の国民は存外に利己的であって、ロシアの野蛮な暗黒専制政治を打ち破る革命運動を援助する熱意に乏しい。
かの米国の独立革命に際しては、仏人ラファイエットがあり、のちにはガルバルディーのごとき国際的侠骨があったが、このような人物は近年の西欧では、まれである。
かれらは西欧の民主的自由の文明を、暗黒のロシアに移入し、ロシアに正義人道の文明を開く大任を果たそうとしない。
そこでロシアの革命を開き導く国際的任務は、ヨーロッパ人ではなくして、むしろ東方の君子民族たる日本人のうえに期待されることになってくる。
「乞ふ看よ、大洋的なる日東の君子民族は、他邦の革命党の意気に感じ、前後数回、これに対し出来得る限りの助力を与へ、産を破り、家を捨て、命を賭して他と浮沈をともにするを辞せざりしことあるを。
君子民族の前には、唯正義と血誠あり、成敗利害は彼等の問ふ所にあらざるなり。
金玉均、全捧準(ぜんぼうじゅん)、梁啓趙(りょうけいちょう)、孫逸仙、ポンセの徒が敢て他と結ばずして、先ず我に頼らんとせるも豈に偶然ならんや、欧人が他邦亡命の士を遇する、果して我の如く厚きを得る歟(か)。
従来、露の革命党員は――客居して、故国の風雲を望観するもの日久し。
然れども隻手孤援、蹶起の形勢を張るに由なく――吾人豈に同情の涙に耐へんや」
「我を見れば、全国四千万人の中、ラファイエットたりガルバルディーたらざるもの幾人ぞ、――故に吾人は、露西亜開導の大任の何(いずれ)の方面より観察するも、欧洲人の手に委すべからざるを思ひ、我君子民族の更に代ってこれに当らんことを希望して止まざるものなり」
「スラーヴは独り欧洲の文明に接近し乍(なが)ら、不幸にも隣人の見捨つる所となって、之が余沢に浴するを得ず、其多年窮厄困弊の状は、一層我五尺の侠神経を刺衝するものあり、吾人豈に無情なる欧人に倣ふて、之を捨つるに忍びんや」
「スラーヴよ、汝の友は東より来るべし、幸に其意を安んぜよ」(前掲書)と論じている。
ロシアでは、冷酷暴戻なる専制政治のもとに、人民は貧苦をしいられ、自由は圧迫され、文明の法は行われない。
ここに文明と人道のための革命を導き入れるのは、日本人の大任であるとの理想主義的革命援助論が展開されている。
上記は葦津珍彦の「武士道(戦闘者の精神)」より引用いたしました。
内田の露西亜論にみる日本人への期待は、その役割を、あるべき姿として武士道に求め期待していた考えるべきではないでしょうか。
今日は以上です。