谷干城と幸徳秋水という二人を通して日露戦争前の対露政策として非戦論と主戦論の対決から幸徳秋水にたいする谷干城の影響が及んでいるのかを見ていきたいと思います。
前回9月11日 は明治三十二年に書かれた谷干城の論を見ていきましたので今回は、その続きを葦津珍彦氏の「武士道(戦闘者の精神)」から見ていきます。
以下、葦津珍彦氏の「武士道(戦闘者の精神)」より
これから一年半後の幸徳の「帝国主義」論にはつぎのような主張が見られる。
〇而して独逸が英国の資本を輸入し利用せる亦甚だ尠少ならず。
若し彼等にして其他を撃破し圧倒するを快となさば、是れ自ら其貿易の大部を殺ぐを快とする者也。
其他列強の関係大抵如此し。
若し天下の商人が其華主を殺戮し、其財貨を奪ふを以て、貨殖の訣を得たりと言はヾ、孰(いずれ)か之を笑はざらんや。
彼欧米諸国が一に他を苦しめて以て自国の利を図らんとする、恰(あたか)も之に類せずや。
〇飜(ひるがえ)って我日本の経済に見よ、更に之よりも甚し、我日本は武力を有せり、以て国旗を海外に建るを得べし、而も我国民は此国旗の下に投下すべき幾何の資本を有せりや、此市場に出すべき幾何の商品を製造するを得るや、領土一たび拡張す、武人は益(ますま)す跋扈(ばっこ)せん、政費益す増加せん、資本益す欠乏し生産益す萎靡(いび)すべし。
我日本にして帝国主義を持して進まん乎、其結果や唯た如此くならんのみ(幸徳秋水「帝国主義」)。
この一節は多くの人が不審としている。
幸徳は社会主義の立場から帝国主義戦争に反対しているはずなのに、ここでは日本資本主義のためにも不利だと説教している。
戦争は、国民大衆のためにならないばかりでなく、まじめな経済的繁栄をもとめる資本家のためにもならない。
それは軍閥の虚栄心のために行われる空しいものにすぎない。
それに資本家であっても合理的な打算をするかぎり、当然拒否すべきものなのだ。
この思想は、前掲の谷干城の非戦平和、経済繁栄の理論を移入したものではないか。
とにかく同一の立場の思想である。
かれの「帝国主義」に見られる論理は、あまりにも軍閥の虚栄を非難することに急であって、そのためにかえって社会主義理論としては弱みを露呈している。
しかし政治記者としての秋水は、政治の現状を見ている。
明治三十四年という時点において、陸軍の山県・桂の対英接近論は、対露主戦論と潜在的に結びついていく。
これに反対した伊藤・谷の対露接近政策は、非戦論であって対英主戦論へ発展する条件がない。
明治三十四年という年は、この二つの政策がまさに勝敗を決すべく闘争した年である。
かれは、山県・桂対伊藤・谷のニ潮流を意識していて、決定的に伊藤・谷の側に立っている。
これは秋水の「帝国主義」論の背景に、脈々として流れている一つの特徴である。
そこに社会主義者幸徳の時務的敏感さと、理論家的弱みとを発見するだろう。
上記は葦津珍彦氏の「武士道(戦闘者の精神)」より引用いたしました。
対露政策の対決による思想的背景は別としての戦略という考え方が二人の非戦論から窺えるように思います。
今日は以上です。