これまで昭和の戦争を見てきて感じるのは軍部がいつから大きな力を持つ様になったのか、ということです。

軍部が力を持つと政治に対する影響力を無視できなくなってきます。


それでは、いつものように半藤一利氏の「昭和史1926―1945」から10月30日 続きを見ていきます。

以下、半藤一利氏の「昭和史1926―1945」より


どうにもならなくなってがたがたするうちに、ついに東京にまで飛び火して、出てきたのが陸軍大臣荒木大将です。


これが発奮(はっぷん)しやすく、「陸軍の名誉にかけて断固、大阪府警察部を謝らせる」と立ち上がります。

警察側も当時、警察を指揮下に置いていた内務大臣の山本達雄と内務省の松本学警保局長が荒木陸相と在郷軍人会を相手にこれまた一歩も引かず大喧嘩をはじめます。


にっちもさっちもいかない状況がずいぶん長く続き、新聞は面白いものだから書き立てる、国民もどっちが勝つのか煽り立てる人もたくさんいたようで、ケリをどうつけるかが問題になってきた十月二十三日、福井県で大元帥陛下である天皇が参加する陸軍特別大演習が行われました。


その時に天皇は、随行していた荒木陸相にひと言、

「そういえば大阪の事件はいったいどうなっているのか」


皇軍、皇国と自ら言い出したように荒木さんは天皇には忠節なる大軍人ですから


「ハハァーッ、必ず私が善処します」とかしこまり、演習が終わって陸軍省に帰ってくると「わが皇軍が陛下にご心配をおかけするとは何事であるか!」


と、こういうところは変わり身が早いのですが、ひっくり返って大阪第四師団の寺内寿一(てらうちひさいち)師団長に電話して、「いつまでがたがたしているか、直ちに解決せよ」と怒鳴りつけました。


ちなみに寺内寿一という人は永井荷風と当時の東京高等師範附属中学校の同級生です。

軟派の荷風は硬派の寺内にのべつぶん殴られていたようですが、彼はうんと後にまた出てきます。


ともかくこれではだめだ、和解策を探ろうと縣知事に「なんとかなるまいか」


と相談しますが、互いに振り上げた拳はなかなか下げられず、面倒くさいから一番下まで下ろしてしまえというわけで、当事者の中村一等兵と戸田巡査に仲良く握手をさせ、それを写真に撮らせて新聞に載せ、喧嘩は無事に終了したと国民に知らせて一件落着、となりました。


上記は半藤一利氏の「昭和史1926―1945」より引用いたしました。


今日は以上です。