薩長連合というのは幕藩体制下にあって特筆すべき政治行動ですが、その内容と言うのは案外知られていないものです。
今日はその内容を見ていきたいと思います。
それでは、いつもの様に葦津珍彦氏の「武士道(戦闘者の精神)」を前回9月19日 の続きで見ていきます。
以下、葦津珍彦氏の「武士道(戦闘者の精神)」より
この会談で坂本の果たした役割は大きい。
しかし坂本が「これは二藩のためでなく、天下のためだ」といったような言説に、西郷が動かされたかのように解する史論は、まったく意味がない。
西郷が天下をいかに考え、藩をいかに考えたか、そのような基本的問題について、西郷、木戸がいまさらに坂本の言動にうごかされたり啓発されたりすることはない。
西郷は西郷のペースで動いている。
ただあい対決した両社の間では、どこまで押せるか、どこまでが限度かの測定がつきかねる。
この間に坂本が介在して、その木戸の受け入れうる限度を西郷に知らせたという点に、坂本の功がある。
「これは二藩のためでなく天下のため」というような言葉そのものには格別の意味はない。
薩長連合と同日の談ではないけれども、近ごろの政党派閥の間の合従連衡の交渉のときにでも、つねに用いられる言葉である。
坂本龍馬、中岡慎太郎等の土佐の浪人は、その地位からしても当然のことながら、西郷や桂ほどに強い藩意識はなかった。
しかしかれらの当時の文書をくわしく見ていけば、かれらが薩長両藩の現実的な利害と意識について正確な認識をもっており、このニ藩が指導権をにぎることがすなわち天下のためであることを確認していたのは明らかである。
かれらはけっして、現実を無視する観念的天下論者ではなかった。
薩長連合は、六ヵ条から成り立つ。
これは、あくまでも藩と藩との連合契約である。
その時点における二つの藩の現実的利害と実力を基礎にした現実的な計算の上に立っている。
幕府に対して公然と敵対して、危険をおかす役割は、依然としてひとり長州が引き受ける。
薩摩は、表面的には中立的な姿勢を保持する。
しかして長州の戦勢が有利となれば、薩摩が朝廷に対して、長州のために政治工作をしてやる。
長州に敗戦の色が見えても、一年も持久戦をしていれば、薩摩は長州のために尽力してやる。
幕府が長州と再戦しないままに軍を撤退したら、薩摩は長州のために朝廷から直接に罪を許されるよう尽力してやる。
そのときに一橋、会津、桑名が妨害するときは、決戦も考える。
朝廷から長州が許されたら、その後は公然とあい提携して皇国のために協力する、というのである。
上記は葦津珍彦氏の「武士道(戦闘者の精神)」より引用いたしました。
今日は以上です。