政治でもビジネスでも同じですが取り巻く外部状況の情報が入らなくなるというのは的確な判断が出来なくなるということです。
それでは、いつもの半藤一利氏の「昭和史1926―1945」を軸に前回9月11日
の続きを見ていきます。
以下、半藤一利氏の「昭和史1926―1945」より
この思わぬ事態を「文藝春秋」五月号の匿名月評子(とくめいげつびょうし)が批判しています。
「連盟の脱退は我輩(わがはい)の失敗である。
帰国の上は郷里に引き上げて謹慎するつもりだ」とニューヨークでの松岡の告白があった、確かに「連盟脱退は明白に日本の外交の失敗であった」としなければならないのに、新聞はこれを一切報じないし一切問わない。
松岡代表のその告白さえ報じていないのである。
それで松岡が英雄とはいったい何たることだ、というふうに批判したのです。
日本国民はそのような事態を知りません。
新聞は書きませんし、国際連盟からの脱退がその後の日本にどういう結果をもたらすかについての想像力もありませんでした。
勇んで「栄光ある孤立」を選んだ、などという言葉でもって、日本国民は「今や日本は国際的な被害者であるのにさながら加害者のごとくに非難されている」と信じ、ますます鬱屈(うつくつ)した孤立感と同時に「コンチキショウ」という排外的な思いを強め、世界じゅうを敵視する気持ちになりはじめるのです。
排外主義的な「攘夷」思想に後押しされた国民的熱狂がはじまりました。
一番大事なのは、この後から世界の情報の肝心な部分が入ってこなくなったことです。
アメリカがどういう軍備をするのか、イギリスがどういうことをしているのか、などがほとんどわからなくなります。
つまり国が孤立化するというのは情報からも孤立化するということですが、それをまったく理解しなかった。
つまり日本はその後、いい気になって自国の歴史をとんでもない方向へ引っ張っていくという話になるわけです。
昭和天皇は、日本が国際連盟から脱退の方針が決してしまった後も牧野内大臣を呼んで、「脱退するまでもないのではないか、まだ残っていてもよいのではないか」と
聞いたそうです。
牧野内大臣は、
「まことにごもっともとは思いますが、脱退の方針で政府も松岡全権もすでに出処進退しております。
今にわかに脱退の方針を変更することは、海外の諸国に対しては、いかにもわが国の態度が浮薄なように思われて侮られます。
また国内の人心もこれ以上がたがた動揺するのみであります。
ですからこの際、この方針を政府が貫くほかはございません」
さすがの牧野さんも五・一五事件以来、腰が引けたせいもあったのか、そう答えました。
これに天皇は、「そうか、やむを得ないのか」と空を仰いだという話が残っています。
この後、孤立化した日本はいよいよ軍部が支配する国となり、国民的熱狂に押されながら、戦争への道を突き進むことになるのです。
上記は半藤一利氏の「昭和史1926―1945」より引用いたしました。
今日は以上です。