前回の6日のブログに続いて高杉晋作と吉田松陰を取り巻く状況を、いつもと同じ様に葦津珍彦氏の「武士道(戦闘者の精神)」から見ていきます。
以下、葦津珍彦氏の「武士道(戦闘者の精神)」より
水戸や越前は、たしかに井伊大老に対する当面の政敵ではあった。
この二藩には尊王の論が有力であり、その幕政改革への要望も、強大なものがあった。
しかしいかに幕政改革への要望が強いといっても、この二藩の徳川家への忠誠心は厳然たるものであった。
それゆえにこの二藩は、維新史上もっともはやくから、幕政改革を主張して大きな歴史的な役割を演じたにもかかわらず、明治の大変革の時代―最後の瞬間にいたるまで、けっして討幕へは踏み切らなかったのである。
そこでは、最後にいたるまで、徳川家への忠誠を固守する意識が失われなかった。
井伊は水越両藩の徳川家に対する忠誠の意識を高く評価することができなかった。
かれは、この水越両藩に対しても、幕府そのものに対する反抗者に対するのと同様の仮借ない弾圧政策をもって臨み、かくして徳川一門を分裂させ、やがて反徳川勢力として伸びてくる長州、薩摩等を台頭させる道を開いてしまった。
かれは徳川一門の政治権力の大きな支柱である水戸斉昭、一橋慶喜、松平春嶽等に対してまで弾圧を下した。
かれは大老という形式的地位の力を過信して、幕藩体制の現実の権力関係の重みが、どこにあるかの計算を誤った。
かれはおのれの力よりもはるかに大きな勢力を、ただひとまとめにして敵の側に追いやってしまった。
それは、現実的権力政治家にとってもっとも必要な、実力計算を無視した無謀な暴圧にすぎなかった。
弾圧政策が成功するためには、一時的にもせよ、弾圧者は、弾圧される側よりも強大な力がなくてはならない。
ところが井伊には、その力の計算ができていない。
上記は葦津珍彦氏の「武士道(戦闘者の精神)」より引用いたしました。
今日の引用部分というのは、ある意味、非常に「示唆」に富んでいると思われます。
現在でも役職や地位を過信しがちというのは、よくあることですが現実的な権力関係の計算とその先を見通すことが大事であることは言うまでもありません。
地位や役職は、その地位、役割が認められてこその権力であることと、自らの本源的な力とは別物であるということだと思います。
今日は以上です。