おなじみ武士道を語る日曜日です。


武士道を通じて現代を照射しようという気持ちだけはありますが、果たしてどうなりますか気長にお付き合いいただければ、と思っています。


※前回のブログはコチラ を御覧下さい。

それでは葦津珍彦氏の「武士道(戦闘者の精神)」を前回の続きから紹介・引用させていただきます。(この本は昭和44年に初刷されています)


以下、葦津珍彦氏の「武士道(戦闘者の精神)」より


しかし高杉が和議停戦をしたのに対して、攘夷党は怒って、かれを暗殺しようとする。

かれは身を隠して九州へ逃亡した。

ところが一方、長州藩は、幕府の征討軍の圧力に抗しかねて、幕府に対しても降伏してしまった。


そこで長州の藩内ではいままでの藩政に対する反発から、幕府追随の俗論党が勢力を得て、これまで維新運動を進めてきた藩士やそれに同情的だった者を一掃してしまう形勢になってきた。


この形勢を見た高杉は、この藩内俗論党の敗北主義的大勢を破砕し、ここで局面を逆転しなければならぬと決断した。

九州の亡命地から、かれは急行して帰国した。


幕軍にたたかれ、外国軍に敗北して、失意の重圧下にあった同志たちをはげまして、高杉は猛然たる反攻蹶起を呼びかけた。

至難の大事である。


ここで俗論党に藩権力を固めさせてはならぬ。

決然として俗論党の重役を斬り、藩権力を握らねばならぬ。

藩権力を握って、毅然として天下の圧力に抗せねばならない、と。しかしこのときの高杉は、亡命地からひそかに帰って来た無位の一志士にすぎない。


同志たちは躊躇した。

このときにこの英断に率先して同意し、このクーデターの実力部隊を提供したのは、力士隊の伊藤俊輔(博文)および遊撃隊の河瀬直孝だった。


高杉の行動は疾風のように速い。

たちまち赤間ヶ関の藩役所を急襲して、これを占拠し、やがてこれに同意する諸隊の兵を動員して、俗論藩政権へ挑戦し、これを倒して長州藩の権力を戦いとった。


ここに倒幕長州藩の不動の体制が、築かれたのである。


上記は葦津珍彦氏の「武士道(戦闘者の精神)」から引用いたしました。


高杉晋作の魅力というのは疾風怒濤の行動力と強烈な藩意識と尊王の一見、矛盾する意識の持ち主ということですが、この後は次回に続けます。


以上です。