武士道と言うと忠義とか忠節という言葉と強く関係していると考えられますが、確かに「忠」という言葉には武士の生き方に根ざしたものがあると思います。
しかし、何が本当の「忠」なのかを考えることも武士道を見る上で重要なポイントではないでしょうか。
それではいつもの様に葦津珍彦氏の「武士道(戦闘者の精神)」を7月26日に続いて見ていきたいと思います。
7月26日のブログについてはコチラ を見て下さい。
以下は葦津珍彦氏の「武士道(戦闘者の精神)」から引用させていただきます。(この本は昭和44年に初刷されています)
教室の武士道は、時をへるとともに形式的律法におちて、おのれが本心にもとづいて、いさぎよく生死の決断をするという第一義から遠ざかっていく。
「忠」とは、もともと君臣水魚の間にあって、本心をもって君に対することである。
主君のためには、心の底から奉仕して命を棄てるを本望と信ずる。
主君の命が、おのれの本心において義と信ずるところにもとれば「忠諫」して屈せぬ。
黒田藩無双の忠臣といわれる栗山大膳(だいぜん)は、主君に激しく諫諍し、最後には「逆臣」の汚名をきて異境で死んだけれども、その諫諍文に曰く、
主暴にして諫めざれば忠臣にあらず、死を畏れていわざるは勇士にあらず。
過ちを見てすなわち諫め、用いられずして死するは忠臣の至れるもの。
また荘氏にも、家に諫める子なくばすなわちその家必ず負る。
国に諫臣なければ、すなわちその国必ず亡ぶ。
かようの儀承り候うにつき、閉口阿頭して申し上げざるは、臣下たる者、戦場にて君を捨て逃げ候いて、命をつぎ申したると同前と偏(ひとえ)に存じ奉り候う。
また先年仰せつけられ候う起請文の表、違背仕り候いては、天罰如何。
と書いている(福本日南著『栗山大膳』による)。
この大膳の諫諍は徹底している。
主君忠之が怒って、かれを殺そうとするが、大膳の武威堂々として意にまかせぬ。
大膳は友人に勧告されて藩を去って、浪人するが、野に下っても諫諍してやまず、ついに忠之の暴を抑制した。
だがこのような徹底した諫諍の剛直さは、戦国乱世では認められたが、徳川時代では疑われてきた。
黒田藩でも、大膳をもって順逆を誤った不遜の者とする学者と、大膳をもって大忠の者とする学者との説が対立するようになる。
おそらく他藩でも事情は似たものだろう。
上記は葦津珍彦氏の「武士道(戦闘者の精神)」から引用いたしました。
今日の引用部分というのは「忠」とは何か、武士とはを考えるうえで参考になると思っています、ぜひ皆さんも良ければこの部分を考えて見て下さい。
以上です。