土、日雑感の日曜日、葦津珍彦氏の「武士道(戦闘者の精神)」の曜日です。
武士道とは死ぬこと、という様に思われているかも知れませんが死に至る覚悟をいかに見出せるか、持てるかということだと思います。
昨今のような勝ち組などという言葉でビジネス書がもてはやされるのは正直言って私にとっては唾棄すべきものの対象でしかありません。
本来の人のあり様を考えるところからこの葦津珍彦氏の「武士道(戦闘者の精神)」を紹介しています。
この本は昭和44年に初刷されています。
それでは本書「武士道(戦闘者の精神)」から引用転載させていただきます。
前回内容は4月19日のブログを見て下さい。
以下本文
『名将言行録』によれば、重成は、大阪落城がちかづくと食事を少なくした。
膳を供した妻が「食がお進みになりませぬか」ときくと「いや、首を斬られたときに、食事が出ては見苦しいので、慎んでいる」といった。
それで妻は最期の時をしらされrたのである。
退いて寝室にはいり、心事を清書して、見事に自決した。
この妻、真野豊後守の娘にて、年十八。
夫重成の死が確かとなった以上、一歩先にあの世へ行き、夫をして後事を憂えさせたくないとの心である。
重成は湯にはいり身を浄め、髪を洗って、香をたきこめた。
そして、江口の曲舞、紅花の春の朝を静かに謡い、余念なく小鼓を打って一日を暮らした。
かくて、翌日、かれは所期のとおりに見事な戦いぶりを示して討死した。
その首が家康の前に出されたとき、香のたきこめられているのを家康が賛美したと
伝えられている。
まことに静かに美しい名将の死である。
それはすでに悲壮などというものではない。
そこにはなんの妄執もなく未練もない。
武士の彼岸
戦国の武士はつねに彼岸に思いをよせた。
父も祖父も戦場で戦い死んだ。
自分も今日あって、明日の命は知れない戦闘の生涯の中にある。
そのような戦国武士の盛衰興亡の歴史を、かれらは目の前に見てきている。
戦い勝って、敵の城をうばったとしても、それを永久安定の勝利とは考えられない。
悲しくも敗れ滅びていった敵の姿の中に、明日のおのれの姿を思わざるをえない。
雄々しく戦い死んでいった敵人に対しても、おのずからに同情を禁じがたい。
おのれも死ぬるときは、雄々しくありたいと祈る。
上記は葦津珍彦氏の「武士道(戦闘者の精神)」から引用転載いたしました。
この内容をどう読むか、は読者の皆様方個々の考え方にお任せいたしますが「おのれの信ずるところに従って戦う」という境地を感じることが大事だと思います。
以上です。