ついに伊藤 肇の「喜怒哀楽の人間学」が最終を迎えることになりました。
この本にはなぜか思い入れがあり、こうしてブログで紹介してきましたが、皆さんの心に残るものがあったとすれば幸いです。
それでは最後も皆さんと一緒にみていきましょう。(この本は昭和53年に書かれています)
以下、本文
幕賓、李克は「この五つのメルクマールから判断すれば、どちらを宰相とすべきかは明々白々でござろう」といい「なお、文侯が師礼をもって接しておられる子夏、田子方、段千木の三人の学者は魏成が推せんした人物でございましたネ」とつけ加えた。
文侯は「なるほど、決心がつき申した」といって、魏成を宰相に挙げた。
一方、文侯の前を退出した李克は、その足で翟璜の邸へたちよった。
李克と翟璜とは親友である。だから、翟璜がざっくばらんにきいた。
「宰相人事の件について、君に下問があったとかきいたが、一体、誰にきまりそうかね」 「まず、魏成子というところだろう」
親友、李克は当然、自分を推してくれたと思いこんでいたのに、意外な答えが冷然と返ってきたので気色ばんだ翟璜が、
「王者を補佐する重要任務の一つは、よき人材を推挙することにある。
その点からすれば、兵法家の呉子を西部国境地帯の司令官に推したのは、この私だ。また、主君が東部国境の守りを案じておられるとき、能吏の西門豹(せいもんびょう)を同地の県知事に推したのもこの私だ。
それに中山の攻略に楽羊(がくよう)を推して、これを成功せしめ、しかも、その占領統治に学兄を推したのも、この私だ。
まだある。公子の侍従長に屈侯鮒を推したのも私だった。それが何故、私が魏成どのに劣るというのか」
とつめよると、李克は静かな口調でたしなめた。
「翟璜よ、まさか、お前は、仲間を集め、派閥をつくって、その圧力で宰相の地位を狙うのではないだろうな。たしかに文侯は『魏成と翟璜とどちらが宰相として適任か』と下問された。
わしは『御自身で決定なされるよう』進言し、ただ、宰相たるの資格をきめる五つの基準を申しあげたまでのことだ。だが、その基準を適用すれば、当然、魏成が任命されることになろう」
翟璜が興奮して、何かいおうとするのを制した李克は、さらに言葉をつづけた。
「この際、冷静に考えてみろ、魏成は俸給の九割をさいて人を養い、自分は一割でくらしている。
その結果、孔子の高弟である子夏をはじめ、その弟子の段千木、田子方など、天下に名だたる学者を魏に迎えることができた。また、文侯はこの三人を師の礼をもって遇しておられる。
ところで、お前も、さきにいったように、たしかに五人の人物を推せんしたし、それぞれに役立っていることは事実だ。だが、大事な点を一つ見落としている。
それは五人が全部、文侯の家来になっていることだ。
魏成の推した三人の学者が師礼をもって遇され、お前の推した五人の人物は家来となっている。
魏成とお前との人間の違いは一目瞭然ではないか」
翟璜は一言もなく、深々と頭をさげた。
蛇足をつけ加えれば、文侯と李克、李克と翟璜とのやりとりには三つの教訓がある。
一つは、人事に私的な情実をもち込まなかったことである。
李克と翟璜との関係は文侯も知悉している。ここで李克が翟璜を推したら、李克はそれなりの人間に評価されてしまう。
二つは、宰相は誰がいい、とはっきり名ざしをしなかったことである。もし、名ざしをしたら、あとにしこりがのこる。
それとなく悟らせ、あとは文侯自身の決断に俟たねばならない。
三つは、その足ですぐ翟璜を訪ねて事情を報告し、納得させたことである。もし、それをやらずに、後日、噂として翟璜の耳に入ったら翟璜と李克の友情は破局となったかもしれない。
この種の話というものはストレートにきけば何でもないことが、第三者の口を通じて入ってくると、事実がゆがめられ、悪意の尾ひれがついて、きわめて不愉快なものになってくる。
そういう事態になる前に、いいにくいことを早目に相手に伝えて、事前に了承させたのである。
以上です。