昨日に続いて伊藤 肇の「喜怒哀楽の人間学」です。
諫言と言い直言と言うも難しいもの、今日はそんな話で一息入れてみて下さい。
それではいつものようによろしくお願い致します。(この本は昭和53年に書かれています)
以下、本文
三度は諫めよ
ついでにもう一つ実例を紹介しよう。
三菱商事船舶部長の諸橋晋六が、まだ若きころロンドンに勤務し、ことごとに上役と意見が食い違って、苦労をしたことがある。
結局、自分ではどうにも解決がつかなくて、その懊悩(おうのう)を手紙に書きつらねて親爺の諸橋轍次<漢学者、『大漢和辞典』を編纂した>に送った。
自分とは全く畑違いの道へ進んだ伜が苦労していると思ったのだろう。
すぐ返事がきた。
先輩と意見を異にするのはよくあることだ。そのこと自体、思いわずらうことはなく、会社のためにいうべきことはどんどんいうがよい。
ただし、お前が意見を述べるにあたって、三つのことを気をつけなければならない。
一、毛筋一本ほどでも私利私欲を考えてはならぬ。
ニ、相手の立場を尊重し、あくまでも礼儀を守ること。
三、不幸にして言が入れられぬことがあっても、平心を失わず、その場は退いて自分も再考する。そして何日か考え、やはり自分が正しいと思ったら、また、その話を持ち出してみろ。
これだけの用意があれば、相手もきっと私心のないことがわかってくれて、後日、お前のいうことに耳を傾けてくれるだろう。
上に対する直言、諫言は口でいうほど簡単なことではない。
孟子も「君主の親戚である大臣は、君主に重大な過失があれば、身を挺して諌める。だが、親戚でもない大臣は黙って去る」といっている。
もし、君主の失敗が重なって革命でも勃発しようものなら、君主はもちろん、それにつながる一族郎党まで誅殺されてしまうのが中国史の常道だから、親戚の大臣としては、いかなることがあっても、君主に失敗はさせられない。
面(おもて)を犯しても諫言せざるを得ないのである。
一方、親戚でない大臣は、船が沈没する前に逃げる鼠みたいに、火の粉をかぶる前に一刻を争って安全地帯へ亡命しなければ虻蜂(あぶはち)とらずになる。
何も君主に殉ずる義理はないのだ。
しかし、この心理は必ずしも漢民族特有のものではないようである。
司馬遼太郎も『播磨灘物語』のなかで、ハッキリと指摘している。
武士の悲しみとは、合戦のつど、妻子と死別を覚悟しなければならぬことではなくて、常に旗幟(きし)をあきらかにせねばならぬというところにある。
旗幟をあきらかにするというのに、得体のしれぬ未来に向って、自己と主家の運命を賭博に投ずることなのである。
もともと「良禽は木を択ぶ」といい、「賢臣は主を選びて之を扶(たす)く」とあるように賢臣は主君をよく見きわめた上で宮仕えするものである。
そして、そういう賢臣は、主君に間違った点があれば、一身の利害を顧(かえり)みず、直言してはばからぬものである。
だが、その直言がききいれられればよし。万が一、主君の逆鱗に触れた時には、どう処置すべきか。
『礼記(らいき)』には「三度、諌めて聴かざれば、即ち、これを逃る」とあるし、『史記』でも「人心、三度諌めて聴かざれば、即ち、身を以て去るべし」とある。
これは、主従の縁を切る場合には、たとい、無駄とわかっていても、とにかく、臣下のほうから主君に対して三回は諫言すべきである。
一度も諌めずに見限るのはもちろん、一度や二度、諌めて、きかれないというので投げ出してはいけない、という戒めである。
ただし、三度目の直言は辞表を懐に入れてやらなければならない。
中国では三度目がきかれぬ場合には、消されてしまう可能性があるから「即ち、これを逃る」である。
以上です。