今週もアッと言う間に土曜日になりました。
年の瀬を間近に迎えて週末感もないというところですが、ここは一息入れてみるのも悪くはないでしょう。
と言うことでおなじみの伊藤 肇の「喜怒哀楽の人間学」を皆さんと一緒に見ていきたいと思います。(この本は昭和53年に書かれています)
今日の内容は前回の続きなので前回の12月14日のブログ を見ていただければ幸いです。
以下、本文
今道直言の下敷き
この今道の直言のしかたには、ちゃんとした下敷きがあった。
朱子が編纂した『宋名臣言行録』にでてくる宋の太祖と「社稷の臣」といわれた趙普(ちょうふ)とのやりとりである。
宋ノ趙普、沈毅果断ニシテ、天下ヲ以テ己ガ任トス
嘗(かつ)テ、某人ヲ除シテ某官トナサント欲ス。上(しょう)用イズ。
明日(めいじつ)、マタ之(これ)ヲ奏ス。マタ用イラレズ。明日、マタ之ヲ奏ス。上(しょう)、怒リテ、其ノ奏ヲ壊裂シテ地ニ投ズ。
普、顔色自若(がんしょくじじゃく)トシテ、オモムロニ奏ヲ拾イテ帰リ、明日、マタ之ヲ進ム。
上、スナワチ寤(さと)リ之ヲ用ウ。ソノ後、果シテ職ニ称(かな)イ、ソノ力ヲ得タリ。
趙普は沈着で意志が強く、決断力も抜群で常に天下のことをもって自分の責任としていた。もちろん、皇帝太祖とは有無相通ずる仲だったが、時として意見がくい違うこともあった。
例えば、こんなこともあった。
趙普がある人物を抜擢して重要なポストにつけようとしたが、どういうわけか太祖が首を縦にふらなかった。
皇帝が人事を否決した以上、宰相としてはそれに逆らわぬのが常識である。
ところが、趙普は何くわぬ顔で、同じ人物を奏上した。もちろん、一言の下に却下(きゃっか)である。
だが、趙普はその翌日もまた同じことを奏上したため、とうとう太祖が怒りだし、「仏の顔も三度までじゃ」と喚いて、上奏書を破って、床へ投げつけた。
すると、趙普は、顔色一つかえずにそれを拾って帰り、もと通りにつづりあわせたのを平然とさし出した。
さすがにここで太祖も反省し、その人事を裁可するにいたったが、果たして趙普の推した人物は仕事の処理もテキパキとしていて、大いに実績をあげた。
このエピソードには、「直言」に関する三つの教訓が含まれている。
第一は、皇帝太祖と宰相の趙普とが相許した仲で、いかなることをいっても誤解がないこと。
第二は、趙普に全く私心がなかったこと。
第三は、信念にもとづいて反復連打したこと。もっとも、信念がなくては、反復連打などやれるものではないが‥‥‥
以上です。