今日もおなじみの伊藤 肇の「喜怒哀楽の人間学」です。
もう飽きたという声もなきにしもあらず、と言うところかも知れませんがここからが勘所ということで、よろしくお願いします。
それでは今日も皆さんと一緒に見ていきましょう。(この本は昭和53年に書かれています)
以下、本文
「功成り名遂げて身を退くは天の道なり」と老子にあるが、なかなか、そうはいかぬのが凡人の哀しさである。
<何もかも、すべて自分を中心に動いている。俺は決して独裁者ではない。だが、自分のつくった世界のまん中にはやはり坐っていたい。
それくらいのわがままは許してくれてもいいではないか。でなければ、何のためにここまで事業をのばし、財界活動をしたのかわからなくなる>
そんな自問自答をくり返すのが、権力の座にある者の晩年のパターンである。
もう既に亡いが、王子製紙から出ていた日本商工会議所会頭の足立 正が、その会頭の椅子に固執して、顰蹙(ひんしゅく)を買ったことがある。
しかし、相手があまりにも大長老で、「辞任勧告」という鈴を猫の首につけにいく人間がいなかった。といって、放っておけば、弊害がでてくることは明らかだった。いや現実に出つつあった。
ところが、この因果な首きり役を、すすんでひき受けたのがTBS相談役の今道潤三だった。
どういう方法でやったかというと、小手先の細工は一切ぬいて、ストレートに足立をたずねて、ズバリときりだした。
「君のためにも、財界のためにも、今が一番のひき時だと思うが、引退の決意をしたらどうかネ」
いかに親友とはいえ、決して愉快な言葉ではない。足立はぷいと横をむいたまま、とりつくしまとてなかった。
今道はそのままひきさがった。ところが翌日、また押しかけていって同じ言葉をくり返した。全く脈はない。次の日、また訪れた。
こんなことを十日間もくり返しているうちに、「わかった、やめるよ」と足立がいった。
足立の辞任が新聞発表された直後、今道にあったら、しみじみした調子でこんなことをいった。
「もし、あの場合、足立がうまくやめてくれればボクの男が売れるとか、永野重雄を会頭に昇格させることによって、永野に恩が売れるとかの打算や私心が、ほんのちょっぴりでも自分にあったら、この交渉はとてもうまくいかなかっただろう。
ボクは心底から、辞任するのが足立のためであり、日本財界のためである、と信じきって動いたからこそ足立も感じてくれたのだと思う」
以上です。