今週もいろいろありましたが土曜日になりました。
伊藤 肇の「喜怒哀楽の人間学」もそろそろ終盤に差し掛かってきました。
皆さんのお役に立てたかどうかは解りませんが何か一つでも心に残っていれば幸いです。
それでは今日も皆さんと一緒に見ていきましょう。(この本は昭和53年に書かれています)
以下、本文
明治時代というのは、若き明治天皇を擁して、西郷隆盛の実直さあり、山岡鉄舟の剛直さありで、時に陛下に面とむかって直諫し奉り、陛下が過ちを改めない限り、一歩も退かぬという気風が強かった。
これもその一つの実例だが、明治天皇が酒の上で、侍従の山岡鉄舟に相撲を挑まれたことがある。
ところが、<天皇と臣下とは相撲など争うべきでない>という信念を持っていた鉄舟は平身低頭したまま応じなかった。
<むっ>とされた天皇は「それなら、坐り相撲じゃ」と仰せられて鉄舟にとびかかられたが、剣禅一如で鍛えた体は微動(びどう)だもしない。
ますます、逆鱗された天皇は、やにはに拳を固めて、鉄舟の眼を突こうとされた。
眼をつぶされてはたまらないので、鉄舟がひょいとかわしたために天皇は空(くう)をついて鉄舟のうしろへどうと倒れ、顔をすりむかれて、そのまま、酔い潰れた恰好で御寝(ぎょしん)になった。
さあ、あとが大騒動である。侍従たちは、よってたかってお詫び申し上げるようすすめたが、鉄舟は頑として応じない。
ただ、頭をかわしたことについては、「一身はもとより、陛下にお捧げしたものだから、負傷などいささかもいとういとうところではないが、もし、陛下が酔狂で臣下の眼を砕かれたとあっては、陛下は後世『暴君』の汚名を冠せられることになる。
それでも陛下が拙者の措置が間違っていると仰せられるなら、腹かき切ってお詫び致す所存でござる」といいきった。
結局、明治天皇が「朕が悪かった、もう相撲も挑まぬし、深酒もしない」と仰せられて一件落着となったが、体を張って直言した鉄舟も偉かったし、それを素直に受け容れられて反省された天皇も偉かったということになる。
「一国、争臣なければ殆(あや)うし」という。
「争臣」とは「主君に直言して主君と争う臣」のことである。
以上です。