昨日は皆さんに勝手なお願い致しまして誠に申し訳ありませんでした

と言うことで今日は予定を変えようかとも思いましたが、それではあまりにも意識し過ぎと言われかねませんので予定通りとしました。


予定通りと言うことは伊藤 肇「喜怒哀楽の人間学」です。それでは今日も皆さんと一緒に見ていきましょう。(この本は昭和53年に書かれています)


前回、23日の続きです。


以下、本文


権力主義の権化みたいにいわれるマキャヴェリでさえも「へつらい者を避けるには賢い側近を選び、その者たちにだけ直言させよ」と説き、


「君主は民衆の支持を得ていると錯覚してはならない。彼らが『わが君のためには死をも辞さぬ』というのは、死を必要としない時だけである」と戒めている。


現代風にいえば、部下から「社長、あなたがおられなければ、会社は闇です」などといわれて、頭からそれを信ずるトップがいたとしたら、大馬鹿だということである。


ところが、世の中には意外にこの大馬鹿者が多い。

『十八史略』でも、側近、趙高(ちょうこう)に誤れたあげく、その趙高に殺害され、ついに秦を滅亡せしめた二世皇帝、胡亥(こがい)の実例を挙げている、


反乱を起こした趙高の軍が二世皇帝の座所の帳(とばり)に矢を射かけたので、ようやく異変に気づいた二世皇帝が「出あえ、出あえ!」と絶叫したが、誰もすすんで出る者はいなかった。


それどころか、あわてて姿をかくしてしまう始末であった。

「おのれ、不甲斐なや!」 二世皇帝が地団駄踏んだが、ふと、傍に一人の宦官(かんがん)がいるのに目をとめた。


「お前、そこにいたのか?どうして、こんな謀反人がいることを朕に告げなかったのか?!早く教えてくれれば、こんなことにはならなかったのに


すると、宦官は面を伏せていった。


「はい。私めは陛下に何も申しませんでした。ですから、今日までこうして生きながらえることができたのです。真実をお伝えしたら、その場で陛下のお怒りにふれ、殺されてしまったでしょう」


痛烈な返答である。


権力の座に近づけば近づくほど、また長くおればおるほど、まともな人間でもおかしくなってくる。人はこの二世皇帝、胡亥の例を笑ってすまされぬものがあろう。


「電力の鬼」といわれた松永安左ヱ門も書き遺している。


「友情にも、一期、二期、三期と季節みたいなものがある。

第一期の青年時代には、互いに前途の希望を語り、おのおの成功を期して助け合い、励ましあうようにする。

つまり、その頃は、相手の弱点をつつかず、長所を長所として自覚するようにつとめることだ。

第二期、四十から五十の壮年時代に入ると、仕掛けた仕事にも目鼻がつき、成功の域に近づいた時だから、今度は欠点や短所を遠慮なく戒めあい、仕事のやり方も厳正に批判する。

ところが第三期の老境に入ると、不思議と皆からほめられたくなる


このため、近づく連中は悉く甘言を呈するようになるし、そうでない者は遠ざけてしまう驕りたかぶった気持になる。

そこで最も必要になってくるのが、真実の苦言を呈してくれる友人知己である。


これがないと全く危ない。

シーザーもナポレオンも豊太閤も、晩年において失敗しているのは、諫言の友がいなかったからである」



以上です。