今日は土曜日なのでいつもの様に土、日雑感で伊藤 肇の「喜怒哀楽の人間学」ですが、最近は説教くさいのが敬遠されたのか少し人気が無いように感じます。
まあー、だからこそこの「喜怒哀楽の人間学」に変わることない魅力があると私は思っています。
それでは皆さんと一緒に見ていきましょう。(この本は昭和53年に書かれています)
以下、本文
帝王学の第二の柱である「直言してくれる側近」は何故必要か。
かって、佐藤栄作が総理大臣在任中、御用始めの日に伊勢神宮に詣で、随行の記者団から「何を祈ったのか」ときかれた時、「総理大臣として胸中をうちあける人もなくなったので神様に訴えたのさ」と笑って答えた。
権力の座にある者は、大衆の前に立った時は身構えた「自分」がものをいうけれども、独りになった時にはひどい寂寥を感ずるものらしい。
俗物の最たる大ナポレオンは腹にできたタムシがかゆくて、独りになると子供のように泣きべそをかき、従卒が<これが英雄か>としばしば怪しむほどの狂態を示すことがあったという。
一九六四年、『中国の赤い星』の著者、エドガー・スノーが招かれた第二回目の中国訪問をした時のことである。
あたかも国慶節の日で、毛沢東の傍らで「大行進」を眺めていたスノーは、この国家主席という座にある最高権力者が、何やらうかぬ顔をしているのに気がついた。
「どうか、なさったのですか」
群集はプラカードを高くかかげ、歓声をあげながら、次々とその前を通りすぎて行く。
それを眺めつつ、毛沢東はつぶやくようにいった。
「あの群衆を大別すると三つになる。第一は忠実な毛沢東主義者だ。第二は皆がそうするから自分もそうするという迎合派だ。そして第三は表面をいかに装っていても、その実はまぎれもない反毛主義者だ」
このやりとりは、革命家の「醒めた眼」と同時に、心にある、どうにもしようがない「孤独の寂寥」を伝えている。
「孤独はすべてのすぐれた人物に課せられた運命だ」とショーペンハウエル<独・哲学者。カントの後継者>の名言だが、トップは何故、孤独となるのか。
それには五つの原因がある。
一、トップには同僚がいない。
ニ、意志決定に助力を求められない。
三、自由に意志の伝達がしにくい。
四、正しい情報を得ることが稀である。
五、しかも、なお、最終的な責任を負っている。
以上です。