今週も週末、土曜日です。

一週間を振り返って自分自身の軌道修正をするのも悪くないと思っています。


それでは、いつもの様に今日も伊藤 肇「喜怒哀楽の人間学」を皆さんと一緒に見ていきましょう。(この本は昭和53年に書かれています)


以下、本文


鎌倉時代、曹洞宗を開き、永平寺を建立した道元に『正法眼蔵(しょうほうがんぞう)』という全九十五巻に及ぶ難解の書がある。



通産省出身の経営者で石油資源開発社長の森 誓夫が、手塩にかけて育ててきた共同石油を去るにあたり、「後任をきめるために共石グループの社長会を招集して、その意見をまとめるのにすごく骨を折った。

あたかも、自分の首を落とす塚穴を掘るような心境だった」と述懐したが政府と民間の寄合世帯という会社だから、後任をきめるのも、その根まわしが大変だったに相違ない。


しかし、そんな辛い思いに耐えかねている最中、ふと思いたって『正法眼蔵』を開いたら、「花は愛惜に散る」の一語が目にとび込んできた。


仏法の奥義(おうぎ)を究めつくし、「花は咲き咲きて成就。葉は散り散りて成就」と実にすっきりとした達悟の境地を示した道元にして散る花のあわれに涙をそそいだ日があったのか、ひどく道元を身近に感ずるとともに、人事が錯綜して、困難な事態に直面すると、心の中で「花は愛惜に散る」とお題目みたいに唱えて、ピンチを切りぬけた。


以来、この書を片時も手許から放さず、今では「道元の『正法眼蔵』こそ人生最高の書である」といっている。


また、石川播磨重工社長の真藤 恒は「人生の苦境というものには何度も遭遇しているが、それを克服できたのは『正法眼蔵』『王陽明全集』だった」といい、特に敗戦直後、戦犯容疑で出頭を命ぜられて服毒自殺した橋田邦彦<近衛、東条内閣の文相>の『正法眼蔵釈意』を推せんする。

ただし、この本、四巻で中絶してしまったのはかえすがえすも残念である。



以上です。