世の中、そんなことは分かっているということはよくあることですが、分かっちゃいるけど、知っているけどという言葉をつい使ってしまいます。
そういう話で今日も伊藤 肇の「喜怒哀楽の人間学」を皆さんと一緒にみていきましょう。(この本は昭和53年に書かれています)
以下、本文
八十の老翁なお行(ぎょう)じ難し
全日空相談役の岡崎嘉平太は「知機心自閑」<機を知れば心自(おのずか)ら閑(しずか)なり>という文句で原理原則を説明する。
「機」とは原理原則のことで、それさえ抑えておけば、人生のことは、いかなる複雑な事件に出くわしても、それにふりまわされることがなく、心は常に閑である、という意味である。
岡崎嘉平太は大正五年にはじめて上京、旧制一高の試験を受けた。
無事、試験も終わって、さて、帰ろうとしたが、西も東もわからない。どうしようもないので先輩に頼んで東京駅まで送ってもらうことになった。
ところが、その先輩、小石川から市電にのった途端に眠り込んでしまった。先輩が起きなければ何処で降りてよいかわからない。
といって先輩を起すのも失礼だし、とつおいつ迷いつつ、岡崎は電車がとまるたびに目を皿のようにして駅名をさがし、全く、心が落ち着かなかった。
そんな後輩の気持をしるやしらずや、先輩は嚊(いびき)までかき出す始末だったが、電車が水道橋、神保町を通りすぎ、やがて大手町にさしかかった頃、パッと目をさまして、涼しい顔でいった。「おう、この次だぜ」
岡崎は、この時、つくづくと考え込んだという。
「やはり、何もしらぬと苦労するということです。知っている先輩は何もかも心得ているから、いい気になって三十分ぐらい寝てしまう。『知機心自閑』で、居眠りもできるわけです。人生もまた同じですネ」
「原理原則とは偉大なる常識」であり、「知機心自閑」であることは間違いのない事実だが、その「偉大なる常識」を完全に消化し、実践する、ということは口でいうほど簡単なことではない。
こんな話はどうか。
詩聖といわれた白楽天が鳥窩(ちょうか)和尚をとらまえて「善の真髄いかん!?」と問うと「諸悪莫作(しょあくまくさ)衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)」と答えた。
「悪いことはしなさんな。いいことはやりなされ」からかわれたと思った白楽天は、いささかむっとして「そんなことは百も承知だ。当たり前のことじゃないか」と口をとんがらせた途端に和尚に一喝された。
「三歳の童子もこれを識るといえども、八十の老翁なお行じ難し」
大詩人はいたく赤面したとある。
以上です。