このところ連日の株安、円高は底が見えない、先が読めない本当に深刻な状況になってきました。
こういう時こそ勝海舟じゃないけれども、このあがりさがりの辛抱のできる人、大豪傑を真似てみたい気持ちです。
それではいつもの様に伊藤 肇の「喜怒哀楽の人間学」を皆さんと一緒に見ていきましょう。(この本は昭和53年に書かれています)
以下、本文
偉大なる常識人、孔子
宮城県沖地震の第一報が届くと同時に現地へ飛んだ「着物のやまと」社長の矢島栄二は社員たちの顔をみるなり、「誰もケガはなかったか」ときき、一人のケガ人もなかったことがわかると、「よかった、よかった」と手放しで喜んだ。
ところが、あとになって、ちょっとガクのある友人から「論語の実践ですか」といわれて「キョトンとした」という。
その論語というのは次のような一節だった。
「厩焚(うまやや)けたり。子、朝(ちょう)より退(の)きていわく『人を傷(そこな)へるや』と。馬を問わず」
<孔子の厩舎が焼けた。朝廷から退いてその報告を受けた『誰もケガはなかったか』ときいただけで馬のことは問わなかった>
それをきかされた矢島は「豁然として悟らされた」という。
いわく「あわてて、『論語』を読み直してみて、ハッと気がついたことがあるのです。
孔子は、盲目の楽師が会いに来た時には、階段までくると、『階段だよ』といい、畳へくると『畳の間だ』と教え、いよいよ席につくと『そこにいるのは誰それ、ここにいるのは何某』といちいち紹介したし、また親しい家老の季康子(きこうし)から『よく効くから』と薬を贈られると、その好意に感謝の意は表したけれども、のまなかった。
理由は『この新薬について知識がないから』だった。
『厩の火事』もこの中に入りますが、要するに孔子は偉大なる常識人であり、その常識を当り前のこととしてやってのけた点に孔子の魅力があったのですネ」
たしかにその通りで、生活の原理原則を確立して、それを忠実に実践したのが孔子である。
以上です。