今の時代の様に先が見えない不安な時こそ必死になって悩むというか模索するということがホンモノに出会ったり、見つけるのに向いている様に思います。


昨日に引き続いて伊藤 肇「喜怒哀楽の人間学」を皆さんと一緒に見ていきましょう。(この本は昭和53年に書かれています)


以下、本文


住友金属から住友軽金属の社長にのり込んだ小川義男は、まず、最初に人事ととり組んだが、ありていにいって、今まで沈滞しきっていた人事にどうメスを入れるかについて深刻に悩んだ。


そんな最中、昔、読んだ帝王学の書『宋名臣言行録』を必死の思いで開いたところ、「これだ!」という一項目にぶつかった。


歴史上でも成語になっている「王安石の新法」の王安石<北宋の革新官僚>が新法を施行するにあたって、妙に才気走った小器用な奴ばかり抜擢して要職につけるので、司馬光<北宋の政治家にして学者。名著『資冶通鑑(しじつかん)』を遺した>が心配になって理由を問うと、王安石は誇らしげに答えた。


「最初は才力ある人物を使って新法を推進させ、適当な時点で老成の者に交替させて、これを守らしめる。いわゆる、智者はこれを行い、仁者はこれを守るなり」


これをきいた司馬光は「ああ、安石、誤れり」と嘆き、


「君子は重要なポストにつけようと思っても、遠慮して、なかなか受けないものだ。だが、『辞めてもらいたい』といわれた時には、何のわだかまりもなく、さっと身をひく。


小人はその反対で、そのポストに何時までもしがみつく。

それを無理にやめさせたりすると、恨みを含み、仇(あだ)をなす。そんな人事をすすめていると、他日、君は必ず後悔することになるぞ」


と忠告するが、功にはやった王安石は、それを黙殺してしまう。

しかし、案の定「後に安石を売る者あり。これを悔ゆといえども、また及ぶことなし」<宋名臣言行録>という破目となり、せっかくの新法まで潰されてしまう。


その後、小川義男の人事をみていると、この司馬光の原理原則が明確に打ち出されており、何時の間にか、深刻なアルミ不況の中で住友軽金属だけが立ち直るという奇蹟を演じた。



以上です。