昨日に引き続いての土、日雑感です。
今日は人間力と言いますか、上に立つ者が身に付けておかなければいけない魅力ということについて、伊藤 肇の「喜怒哀楽の人間学」を皆さんと一緒にみていきましょう。(この本は昭和53年に書かれています)
以下、本文
帝王学の三つの柱
「上に立てば立つほど、魅力をもたねばならぬ」と書いたが、その頂点は帝王である。したがって、帝王なる者は最高の魅力、「深沈厚重なるは第一等の資質」を身につけなければならない。
それにはどうすればよいか。
中国五千年の歴史は、さまざまな体験のなかから「帝王学」という叡智を結晶させた。
「帝王学」などというと、「保守反動の塊」みたいに思うむきもあるかもしれない。
しかし、それはとんでもない思い違いで、要するに「上に立つ者が身につけておらねばならない学問」のことである。
最初に説明した「人間学」といいかえてもいいのである。
この「帝王学」には三つの柱がある。
第一に、原理原則を教えてもらう師をもつこと。
第二に、直言してくれる側近をもつこと。
第三に、幕賓(ばくひん)(パーソナル・アドバイザー)をもつこと。
第一の「原理原則を教えてもらう師」の「原理原則」とは何か?
昔は通用したが、今は通用しない、というのは原理原則ではない。
原理原則とは、何時いかなる時代においても、いかなる場所においても通用するのが原理原則の原理原則たる所以である。
何か、ある原理をたてたが、それにあてはまらない矛盾が生じた時、「何ごとにも例外はつきものさ」といってすましている学者がいるが、こんなのはプロの学者とはいえない。
原理原則には例外はないのである。
アルキメデスは風呂にはいっているとき、すべての物体は、この物体が排除した水の目方だけ軽くなるという、いわゆる「アルキメデスの原理」を発見したが、もし、この原理に例外があったら、それはもう無茶苦茶になってしまう。
それだけに原理原則を知り、それを実践することは非常に厳しいものがある。
以上です。