今日も伊藤 肇「喜怒哀楽の人間学」です。牛尾治朗のその後が気になりますね。(この本は昭和53年に書かれています)


それでは皆さんと一緒に見ていきましょう。


以下、本文


その年の瀬も押し迫ったころ、飄然と帰国した牛尾は三菱銀行副頭取の露木 清<現・伊勢丹会長>を訪ねた。

露木は「やあ、帰ってきましたか」とにこやかに迎えてくれ、雑談の中でさりげなく、こういった。


「男が一番仕事がやれるのは四十五歳から六十五歳までの二十年間です。四十五歳まではネ、どんな失敗をやらかしても、すべて、経験として吸収され、プラスとなって機能します」


ちょうど、牛尾は四十五歳だった。牛尾がうなずくと、ふと思いついたようにもう一言つけ加えた。


「これからは社外重役を頼まれた時にはネ。もしも、その会社が危くなった時には、自分からのりこんでいって、全面的に支援態勢のとれる自信があれば、ひき受けてもいいが、その自信がない場合には、ひき受けてはいけません」


表現はやさしかったが、内容は極めて厳しかった。牛尾は寒竹(かんちく)のムチでひっぱたかれたように骨身にこたえた。


そんなことがあって数年、最近、牛尾にあったら、応待辞令にコクがでてきたのに驚かされた。

「かって安岡正篤先生にお話をうかがい、『よくわかりました』といったら、『そんなに簡単にわかる事柄ではないし、また、そんなに簡単にわかってもらっては困る』とお叱りをうけた。

その時、ボクは先生にそういわれても、内心では、本当に理解していたつもりだったのが、今にして思うと、何ひとつわかっていなかったということです」


そして、その時、教えられた李ニ曲(りじきょく)<明末の陽明学者>の一文を暗誦した。

習学はまず『不言』を習うべし。始めは勉強力制して、数日、一語を発せず、漸(ようや)くにして数ヵ月、一語も発せざるに至る。かくの如くなれば、即ち、蓄うる所のもの厚く、養うところのもの多し。而(しこ)うして言わずんば則ち巳(や)む。言わば則ち経(きょう)を残さむ


学問や教養は深く身につけなければならない。しかし、その上で、それらを何時でも捨て去る覚悟をもたぬとホンモノにはなれないのである。



以上です。