今日は頭が良くて弁も立つという羨ましい人のことが話題です。
昨日に引き続いて伊藤 肇の「喜怒哀楽の人間学」を皆さんと一緒に見ていこうと思います。(この本は昭和53年に書かれています)
以下、本文
「不言」を学ぶべし
「第三等の資質」とされた「聰明才弁」(7月27日の“魅力とは”を見て下さい)は、頭もきれて弁も立つ、いわゆる口八丁手八丁だが、そういう人物は、えてして、軽薄才子の謗(そしり)をまぬがれ得ない。
呂新吾も「其の他、浮薄(ふはく)にして、好みて任じ、能を翹(つまだ)てて喜ぶは、皆、行、逮(およ)ばざる者なり。もし、諸(これ)を行事に見(あら)わせば、施為(せい)、術なく、反(かえ)って事を憤(やぶ)る。此等(これら)はただ談論(だんろん)の科に居るべきのみ」と特にコメントをつけている。
「聰明才弁」はサロンの話相手としては楽しいだろうが、事を実践する段階になると、いっこうに役立たぬというのである。「談論の科に居るべきのみ」とは痛烈である。
ウシオ電機社長の牛尾治朗は弁もたてば筆もたつ。おまけに毛並までいい。推されて青年会議所の会頭となり、軽井沢セミナーでぶちあげた演説が朝日新聞に大きくとりあげられ、一躍、「時の人」となった。
「七十年代半ばには、今の大学紛争が企業にも飛火する」と前置きして「ゲバの発火は、まず、労組幹部が企業に懐柔されて、一見、労使関係が順調にいっていると思われる組合内部に起るだろう」と警告した。
ドラッカーの『断絶の時代』がベスト・セラーを続けていた時代だけに、この告白的体制革新の狼火(のろし)は爆発的な反響を呼び、牛尾の虚像と実像とが入り乱れて喧伝(けんでん)された。
当然、若い牛尾は得意の絶頂となり、請われるままに各地を講演してまわり、一流紙からいかがわしい総会屋雑誌にいたるまで精力的に顔を出した。
だが、マスコミがタレントを捨てるときは鮸(にべ)もない非情さである。
胴あげしておいた手を無責任にパッと放す。ドシンと下へ落とされた時、はじめて、そのタレントは<有名なんてものは自分の名前が茶の間であめ玉がわりに一分間ばかりしゃぶられるだけのものだ>ということを骨を噛むような悔恨とともに味わわされる。
もちろん、牛尾といえども例外ではなかった。
以上、次回に続けます。