伊藤 肇「喜怒哀楽の人間学」もいよいよ佳境に入ってきました。それでは今日も皆さんと一緒に見ていきましょう。(この本は昭和53年に書かれています)


浪人と投獄と闘病と


既に亡いが、野村證券前会長の奥村綱雄は「ワハハのオジさん」とよばれていた。

小さな体を豪快にゆさぶり、喉ちんこまでみせて呵々大笑するくせがあったからだ。事実、この笑いは、少々憂鬱なことがあっても吹きとばしてしまう「百万弗の哄笑」だった。


しかし、ある時、天邪鬼(あまのじゃく)ぶりを発揮して、からかった。


「顔や体は陽気で派手にわらいまくっているけど、眼がいっこうに笑っていないのは、どうしたわけですか」


多少はあわてるかと思ったら、「気いつけんとあかんなあ」といって、また呵々大笑した。そして、「君、こんな詩をしっているか」と便箋にさらさらっと書きなぐった。


蝸牛角上(かぎゅうかくじょう) 何事ヲカ争ウ

石火光中 此ノ身ヲ寄ス

富ニ随イ貧ニ随イ且(しばら)ク歓楽セン

口ヲ開イテ笑ハザルハコレ癡人(ちじん)


「どうでもいい、ちっぽけなことをゴシャゴシャ争うのを蝸牛角上の争いというが、現実の人間世界はそれが実相だ。

しかし、人生は石と石とがぶつかり合って火花を発する、その瞬間のように儚(はかな)いものなのだから、あまりこせつかないで、貧富の分に応じて歓び楽しんだほうがよい大口をあけて、腹の底から笑えないような奴は、かわいそうな馬鹿者さ。

白楽天の『対酒』という詩だよ。特に『結』がいいだろうとやられてギャフンと参った。


ところが上には上がいる、この奥村を手もなくひねってしまった男がいる。それは「電力の鬼」といわれた松永安左エ門である。


奥村が四十五歳で社長になり、まだ海のものとも山のものともわからぬ野村證券のイメージ・アップのために精いっぱい爪先立ちをして歩いていたある日、松永安左エ門を相手に「天下国家」をぶちまくった。

「法螺(ほら)と喇叭(らっぱ)は大きくふけ」というのが奥村の信条だったから、とてつもない大風呂敷をひろげたに違いない。


松永は鼻毛をぬきながら、フンフンときいていたが、一しきりふかせておいて、こういった。

「せっかくの滔々懸河(とうとうけんが)の弁だけど、とても歯がういてしまって、聞いちゃおれない。いいか、後学のためにいってきかせるが、実業人が実業人として完成するためには、三つを体験しないとダメだ

その一つは長い浪人生活だ。その二つは長い投獄生活だ。その三つは長い闘病生活。奥村クン、君はまだこのうちの一つもやっていないだろう」


野太刀を大上段にふりかぶった途端に褌(ふんどし)がはずれたようなもので、この一件以来、奥村はすっかり松永に傾倒した



以上です。