今週もまた土、日雑感の土曜日です。人間、誰しも長所もあれば短所もあるものですが今日の伊藤 肇「喜怒哀楽の人間学」はこの辺りのことについて触れています。(この本は昭和53年に書かれています)


それでは今日も皆さんと一緒に見ていこうと思います。


以下、本文


「磊落豪雄の魅力」とは、いったい、どんな魅力か。


「磊落」とは、大きな石がごろりところがっている状態で、型を脱した線の太い面白さがあり、些事に拘泥せず、バリバリと仕事を進めていく陽性の人物である。

江戸中期の卓抜した科学者であり、先覚者でもあった平賀源内が事業に失敗して「ヤマ師」とよばれた時、傲然としていい放った。


「利巧者が馬鹿の悪口をいう言葉は無数にある。だが、馬鹿が利巧者の悪口をいう言葉はたった一つしかない。それは『ヤマ師』という言葉だ」


実に痛快な言葉ではないか。幕末の儒者、春日潜庵は


「今世、短所の数うべきあらば、便(すなわ)ち、是れ第一等の人。東莱(とうらい)の此の語、晦翁(かいおう)<朱子のこと>、象山(しょうざん)<陸象山のこと>の輩を指すが似(ごと)し。大海、時あってか、狂瀾(きょうらん)を起し、大川、時あってか、横流を生ず。区々守常の士は以て語るに足らず」と喝破している。


春日潜庵は京都の陽明学者で、明治維新に活躍した人物でこの門をたたかぬものはなかった。西郷隆盛も傾倒して、弟の小平や村田新八を入門させている程である。


「今世、短所の数うべきあらば、すなわち、これ第一等の人」とは言い得て妙である。

今の世に時めく人々は、皆、難のうちどころがない。

頭もいいし、才もある。交際も上手で当たりさわりもない。たいして酒も呑まぬし、女も漁らぬ。すべてがまことに整っている。しかし、さっぱり旨味がない。感激がない。


何やら、始終忙しそうに働いてはいるが、要するに何をしているのか、どうでもよいような、誰にでもできることをやっているにすぎない。

可も無し、不可もなしというという類である。そんなのは幾千幾万集まっても、その時代を動かす力とはなり得ない。


それよりも欲しい人物は、もっと手ごたえのある男である。そういう男には凡人の持ち得ない短所があろう。だが、これがまた魅力である。ああ何という退屈な人間どもだ。



今日は以上です。