人間誰しも評論家になって人の言動をあれこれというのは小気味のいいものですが、今日の伊藤 肇の「喜怒哀楽の人間学」はそういう話です。
今日も皆さんと一緒に見ていこうと思いますが、話は8月10日のブログの続きになります。(この本は昭和53年に書かれています)
「行為せざる者」の思い上がり
帰国後は経済記者がそのスタートとなった。
「行為する者にとって、行為せざる者は最も過酷な批判者である」という。具体的にいえば、世のいわゆる経営者たちは「行為する者」であり、記者(伊藤 肇)は「行為せざる者」である。
この「行為せざる」ジャーナリストが「行為する経営者」をとらまえて、批判のための批判としか思われぬような原稿を書いて得々としている。
ところが、こういう「行為せざる者」が批判をくり返しているうちに、自分も「行為する者」になれると錯覚して、マスコミから足を洗い、一般の企業へ入って、「行為する者」の立場になると忽ち、馬脚をあらわしてしまう。
実際の話が、ジャーナリストから大経営者になったためしは一つもない。せいぜい、団体役員くらいでお茶を濁しているのが精いっぱいのところである。
当然、筆者も、このジャーナリスト気質に簡単に染まった。そして、「辛辣な批判だ」などと煽てられると、内心、得意になって、さらに今度は無理にでも辛辣ぶろうと、前より一層どぎつい表現をつかった。つまり、大向うの拍手喝采を狙ったスタンドプレーだった。
だが、そういう文章は、一時(いっとき)、話題になっても、しばらく時間がたつと、何時の間にやら、色あせて、消え去ってしまうことに随分と長い間、気がつかなかった。
今日は以上です。