逸話なり、言行録、伝記を読むとホントに面白いですね、嘘、真は別にしてその背景を窺うことは歴史を見る上で参考になると思います。


今日も伊藤 肇「喜怒哀楽の人間学」を皆さんと一緒に見ていこうと思います。(この本は昭和53年に書かれています)


8月3日の『世界の旅』の戦慄と恍惚の続きになりますので良ければ8月3日のブログも見ていただければ幸いです。それでは今日もよろしくお願いします。


□ 昔からスイスは文人や亡命客が集まる処だが、いかにも魂を療(いや)すにはよい処である。

ジュネーブにはルソーが生まれ、カルヴィンやヴォルテールも住んでいた。まだローザンヌにはヴォルテールやディッケンズも滞在したし、ギボンは、その名著『ローマ帝国衰亡史』の一部をここで書いた。


そういう追想は限りないが、私には、どうもアミエルが一番、スイス的に偲ばれる。私は毎夜、就寝前に携えていた『アミエルの日記』を所かまわず散見して、清くやすらかな眠りについた。


いわく「人生の重要な問題になると、われわれは孤独である。そして、われわれの真の歴史は、ほとんど他人には解釈できるものではない。戯曲の重要な部分は独白である。というよりも、彼とわれわれの良心とわれわれ自身との親しい討議である


いわく「何が、人の特性を最もよく表わすかというと、愚かものに対して執(と)る態度が一番である


いわく「怨(うらみ)は外にあらわれることを怖れる怒である。それは自己の無力を意識している無力の怒である」というような肝に銘ずる言葉が、いつまでも後に残るのである。


□ ナポレオンは恐ろしく名誉心が強かった。権力に対して、猛獣のように貪婪であった。ナポレオンが第一統領から次第に権力を拡大強化して、帝王の位を虎視眈々と狙っていた時、ジョセフィンは女らしい直覚で、それを大変に気づかった。


ジョセフィンは皇后などといわれるより、むしろ、今のままで幸福に暮らしたい。なまじ、ナポレオンが王位などに即(つ)けば、どんなことが始まるかもしれぬ。


家庭ももはや家庭ではなくなって、殊に自分とナポレオンとの間には子供がいないから、王位継承問題などで早速、どんな悲しい目に遭わぬとも限らない、と終始述懐していたが、一八〇九年十一月、とうとう、ジョセフィンの心配が実際になって、ナポレオンとオーストリア皇帝との通婚の犠牲になった時、彼女は悲嘆のうちにも、「わたしは、かねてこうなることと覚悟していた。あの人は自分の野心のためには人を犠牲にしても構わぬ人だから」といっている。


□ エマーソンはその名著『代表的人物論』の中にプラトンを哲学者、スエーデンボルグを神秘家、モンテーニュを懐疑家、シェークスピアを詩人、ゲーテを文人としているのに対して、ナポレオンを俗人の代表として挙げている。


□ ナポレオンの逸話なり、言行録なり、伝記なりをひもとく幾千百万の読者は何れも皆、その一頁一頁を楽しむ。それは読者がその頁に自分自身の歴史を学ぶからである。

ただ、どうにもならぬことは、ナポレオンのような世俗的英雄は、いつか民衆から飽かれることである。



以上です。