今日もまた、土、日雑感の土曜日です。
今日は安岡正篤が登場します。
いつもの様に皆さんと一緒に伊藤 肇の「喜怒哀楽の人間学」を見ていきたいと思います。(この本は昭和53年に書かれたものです)
それでは今日もよろしくお願いします。
志ある者は「進」を己に求むべきで人に求めてはならない。
その道を己に求むということは道業学術の精に外ならず、「進」を人に求むとは富貴利達の栄にすぎぬ。
富貴利達は結局、わが外にある問題で、自ら求めて、必ずしも得られるかどうかわからぬことであるが、道業学術は自分に内在するものであり、自分が啓発せねばならぬものである。
安岡正篤<全国師友協会会長>
<近ごろの経営者は、ただひたすらに「進む」ことに狃(な)れ、一旦、「退く」と、ぼんやりしてしまって何もできない。それは自分に内在するものがないからである。
地位だの、名誉だのというものは偶然にくるものだ、と古人も説いているが、道業学術に懸命に励んでいるうちに結果として地位や名誉に恵まれるという意味である。
地位や名誉は結果であって目的ではないのだ>
池田成彬さん<三井財閥の大長老>が最後にやられた仕事は「重役の定年制」です。昭和十一年五月のことでした。
それまで三井直系会社には役員に停年がなく、相当な長老連が各社に君臨していました。
それらの老人たちは三井各社の「生みの親」であり、「育ての親」なので、いつもその中心に頑張っておられたが、池田さんが「会長、社長は六十五歳。重役は六十歳」という停年制を断行されて、きれいさっぱり大掃除してしまわれた。
そして、私が何よりも打たれたのは、自分で作られた停年制に従って、自らもおやめになったことです。
江戸英雄<三井不動産会長>
今日は以上です。