土、日雑感の土曜日です。
いつもの様に伊藤 肇の「喜怒哀楽の人間学」を皆さんと一緒に見ていきたいと思います。(この本は昭和53年に書かれています)
前回の6月21日、22日の中山素平と「耳順」の続きになりますので良ければ前回分に目を通してもらったら幸いです。
トップ業「三期六年」の意味
第二の「頭取業を足かけ七年やりました」という台詞である。
相当に線がふとく、豪放磊落の男でも、社長になりたての一期ニ年間は死にものぐるいの努力を重ねる。
文字通り、昼間はもちろん、夜寝ている時も経営のことを考えるのだ。
旭化成工業社長の宮崎輝がよくいう。
「ボクは副社長の時も、旭化成のことを真剣に考えつづけた。そして、考えながら、ベッドへもぐり込んだものだが、枕に頭をのせると同時に深い眠りに落ち込んだ。
ところがどうだ、社長になって、同じように社のことを考えながらベッドへ入ると、ますます目が冴えてきて朝まで寝つかれない。
社長と副社長との差はこれくらいあるぜ。しかし、これは社長になってみないと絶対にわからない」
副社長はいろいろ考えても、そのプランを社長に報告すればそれで終わりだ。社長はただ一人で決断しなければならない。孤独な厳しい作業である。
二期、三年―四年もこの緊張はつづくし、三期、五年―六年も、まあまあである。ところが、どんなに意志強固な社長でも四期、七年目になると、ぼつぼつ惰性がでてくる。
大体、社長になれるのは、五十歳をはるかにすぎてからだが、その年齢で全力投球が毎日続いたら、三期六年もやったらヘトヘトになってしまうはずである。それを二十年以上も平然とやっているのは、「社長のサボタージュ」以外の何ものでもない。
したがって、最も理想的な形でいえば、三期六年の間に後継者を養成しておいて、さっさと退くことである。せいぜい、妥協しても五期十年が限度であろう。
社長に限らず、古今東西、いかなる名君、名宰相といえども、あまり長く、その職にあれば、必ず、マンネリ化し、飽きられるのは歴史の常則である。
中山は、そこのところを「足かけ七年」で鮮やかに区切りをつけている。
以上、明日に続きます。
お疲れ様でした。