今日も伊藤 肇の「喜怒哀楽の人間学」を皆さんと一緒に見ていきたいと思います。(この本は昭和53年に書かれています)
昨日の続きになりますので良ければ昨日の分にザッと目を通していただければ、より解りやすいと思います。
阪急電鉄相談役の清水 雅も六十歳になった時、どういう風のふきまわしか、特に目をかけてくれた先輩がバタバタとなくなった。
本人も、「何や、けったいな気持になって医者へいった」という。医者は丁寧に診察して「酒と煙草とをやめたら、寿命が三年延びるでしょう」といった。
そこで、清水は考えた。
<三年ぐらいだったら、寿命が延びても仕方がない。酒と煙草は断乎としてやめない>と決意した。
しかし、<あと三六五〇日寝ると七十歳か。そんなのは、あっという間だ。それなら、三六五〇分の一の一日を大事にしなければならん>と自分にいいきかせ、「以来、女房を絶対に怒らなくなった」という。
また友人でも親しくなればなるほど、いろいろな矛盾がでてきて、それが癪にさわったり、情けなかったりする。
ところが、それが六十になると、お互いに懐かしくなって、癪にさわる奴だったけれども、そいつの悪口をきくと弁解の一つもしてやりたくなるものである。
「耳順」とは、そういう心境の変化をもたらす事なのだ。
どんなに有能な人物でも、歳をとれば、体力、気力ともに衰え、呆けてくるのは、いかんともしがたい。
「耳順」を説いた孔子でさえも「甚ダシキカナ。吾ガ衰ヘタルヤ。久シク夢ニ周公ヲ見ズ」と嘆いている。
若い頃はいうまでもなく、壮年になってからも心から傾倒していた周公<中国、周の政治家。賢人といわれた>の夢をよくみたが、寄る年波の近ごろは、さっぱり見えなくなってしまった。という意味で、孔子のように充実した人生でさえも、老いがもたらした間隙がしのびやかに入り込んでいるのだ。
財界においては、実力者ともいわれた連中でも、亡くなった日から逆算して三年間にやったことはすべて失敗である。
「強盗慶太」と怖れられた東急コンツェルンの創業者、五島慶太が晩年やったことは、東京ヒルトンとの契約と東洋精糖の乗っとりで何れも大失敗だった。
また、池田内閣をつくった陰の実力者といわれた朝日麦酒の山本為三郎は、やたらにレストランをふやしては採算の足をひっぱり、日本麦酒<現サッポロビール>との合併を策したが二度にわたってつまずき、なかんずく、毛並好みで後継者を選んだのが致命傷となって、今、朝日麦酒は住友銀行の管轄下にある。
実際問題として、経営者も働き甲斐のある仕事がやれるのは、四十五歳から六十五歳までの二十年間で、六十五歳以降は余生を考えるのが無難である。そして、この間にやった仕事の質と量とによって、余生が稔り多きものになるか、あるいは陋巷に逼塞するかのわかれ目ともなるのである。
つまり、金銭に換算すれば、「二十年間」に千億の仕事をすれば、千億に対する端数利子がつき、一億の仕事しかやれなかったら、一億相応の端数利子しかつかぬことになる。
中山素平が、その六十五歳までに四年間の余裕をもたせたのは、心にくいというほかはない。
以上です。
お疲れ様でした。