土、日雑感の土曜日です。
いつもの様に伊藤 肇の「喜怒哀楽の人間学」を今日も皆さんと一緒にみていこうと思います。(この本は昭和53年に書かれています)
前回の土、日雑感6月15日の続きになりますので良ければ前回の分に目を通していただければ幸いです。
中山素平と「耳順」
もう一つ、財界の語り草となっているのは興銀相談役の中山素平である。
中山が「頭取をやめて会長になる」と公表した時は、興銀の重役会はもちろん、OBや周囲の連中も猛烈に反対した。
当然、あの手、この手のしっこい留任運動が行われたが、中山は頑として受けつけず、静かに自らの意思を貫き通した。
そして、いよいよ会長と決定した時、記者会見が行われた。
その席で中山は淡々たる調子でその心境を語った。
「わたしは年齢も六十一歳となりました。頭取業を足かけ七年やり、後継者はしぶりにしぶっていた正宗猪早夫を二年ごしに口説きつづけて、やっとOKをとりましたので、これを機会に引退することにしました」
何の気負いもけれんみもない平凡で短い台詞だが、実は、この中に出処進退の原理原則が全部抑え込まれているのだ。
第一の「わたしも六十一歳になりました」という台詞である。
いかなる人間でも六十の坂を越す頃になると<ま、この辺が自分の精いっぱいのところだ>と限界点を自覚し、ある意味の絶対境に到達する。
孔子はそれを「耳順」(しじゅん)<耳順う>(みみしたがう)といい、今までは、とかく納得できぬことやら、カンにさわることばかりが多かったが、そういう「我」もとれて、人を大きく包容できるようになるのである。
たとえば、こんな具合である。
友人に夫婦仲の悪いのがいて、しょっちゅう悶着を起こしていたが、六十をすぎて、また一騒動やらかした時、珍しく女房が喧嘩の途中でこういった。
「もう、よしましょうや。お互い老い先が短くなっているのに、今さら、いがみあってもせんないことです」
亭主のほうも、<なるほど>と思い、以来、喧嘩をしなくなったという。
今日は以上です。
お疲れ様でした。