昨日の朝、東北地方で規模の大きな地震があり、地震怖さを改めて思い知らされました

この間の日曜日はあの事件があって、何か不安感の様なものを覚える向きもあろうかと思いますが自分自身の心構えだけはしっかり持ちたいと思います。


それでは今日も伊藤 肇「喜怒哀楽の人間学」を皆さんと一緒にみていきたいと思います。(この本は昭和53年に書かれています)


爵禄は得易く、名節は保ち難し


人間はどうも終りになるとあわてだす。

古来、「全節」<節を全うす>ということが重んぜられるのは、晩年ほど、万事に執着が強くなって、人間のあさましさが露呈しがちになるからである。


アランの痛烈な一言がある。

「青年は恋愛を欲しがり、壮年は地位を欲しがり、老人は貪欲になって、地位も金も名誉もすべてを欲しがる」


事実、「これは」と思わせた大物が、とんだところで馬脚をあらわした例は無数にある。

もっとも金や女に対する執着はまだかわいいものだし、断ちきるのも、それほどのことではない。しかし、一旦、権力を握った者がそれを捨てることは至難の業だ


しかし、ものは考えようである。

ニューマン枢機卿<英の神学者。『わが生涯の弁明』『承認の原理』などの著者>が「人間は終わりになるのを憂えてはならない。未だ、かって始らしい始をもたなかったことを考えよ」という深い言葉を吐いている。


これは「常に始である」という思想であり、「終わりも始である」ということなのだ

その意味で、しゃれた出処進退をやったのは高橋幹夫<日本自動車連盟会長>である。


警察庁長官のポストを去るにあたって、元の名臣、張養浩の「三事忠告」を引用したのだ。一つは『廟堂忠告』の第十に出てきている「退休」。

いわく「こころみに辱を免れざりし者を見るに、おおむね、みな進を知りて退を知らず、栄寵を恋索して、これを致(まね)く」と。


も一つは『牧民忠告』の下巻第六の「風節」。

いわく「爵禄は得易く、名節は保ち難し。爵禄あるいは失うも、時あってか、再び来たる。名節ひとたび虧(か)くれば、終身、復(かえ)らず」と。


また、五知先生伝<宋初の賢人。季繹>の「難を知ること。時を知ること。命を知ること。退を知ること。足るを知ること。この五知を養い得て、はじめてよく難局に当たるべし」の座右を「常々、肝に銘じていた」ともいった。


ついでのことに「これから浪人生活に入るわけだが、その心構えはいかん」ときいたら、即座にゲーテの畏友、M・フォン・クリンゲルの言葉がかえってきた。


「まことの人は、彼の義務が要請する時と場合においてのみ世界の舞台に現われねばならぬが、その他では一個の隠者として、彼の家族のなかに僅かな友人とともに、また、彼の書簡の間に、精神の風土に生活しなければならない



以上です。


お疲れ様でした。