今日は他の記事を予定していましたが、この事件に触れないわけにはいかないと思い、予定を変更して一昨日の日曜日東京・秋葉原で起こった無差別殺傷事件を取り上げます。


私がこの事件を知ったのは出先から帰ってきて夕方のテレビニュースで知りましたがその後のニュースで7人の方が亡くなられ、10人の方が重軽傷を負われたということで、衝撃を受けました。


まず、この事件で被害に遭われ亡くなられた方のご冥福とケガを負われた方のご回復を心よりお祈りいたします。


この事件を引き起こした男は「世の中が嫌になった」「誰でもよかった」またネットの携帯電話サイト掲示板に「秋葉原で人を殺します」という予告をしていましたが一体、どういう心理でこんな事をやったのかニュースを見ていてもサッパリわかりません


世の中が嫌になる、ということは別にこの男に限ったことでなく、誰にでもあることですが、それがどうして無差別殺人になるのか、はこれからの取調べを待たないと解らないところです。


ただ、もし理解されない認められない必要とされていないなどがキッカケの一つであるとすれば、この男の年齢でそんな理由を言い訳にして欲しくないと思うのは私一人ではないと思います。

理解されない、認められない、必要とされないということで悩みを抱えている人は世の中いくらでもいますし、そんな中でも皆一生懸命頑張っているのです


理解されない、認められない、必要とされないなどは高齢者になればなるほど負の要件として出てくるのは否定できませんが、25歳では何を言ってるのかという感じしか持てません。


それにしても若年者の自殺の急増と今回の事件とは同根とは言えませんが、何か共通するものがある様にも思えます

生きることが問われた時代を考えれば、一体なんだ!と言いたい気持ちです。


今の日本が抱えている閉塞感をどう打開していくかということを真剣に考える必要があると考えますが、一つの糸口として日本の幕末から明治維新そして現代に至る歴史をもう一度、学び直すことが大事だと思います。


今日は以上です。