今日はストックしておいた新聞記事の中から新聞小説の世紀「下天は夢か」4月30日の末國善巳氏執筆のコラムを紹介したいと思います。
情報戦略の重要性指南
織田信長と聞けば、いち早く鉄砲に着目した先見性、既得権を破壊した楽市楽座に象徴される改革精神を思い浮かべるのではないだろうか。
そのため経営者や政治家には信長信者が多く、小泉純一郎元首相が信長好きだったのも記憶に新しい。
だが古典文学に描かれる信長は、近松柳らの浄瑠璃『絵本太功記』に典型的なように、貴公子の光秀をイジめる悪役とされることも多かった。
このイメージを一変させ、信長を改革者としたのは太平洋戦争中に書かれた坂口安吾の短編『鉄砲』である。
安吾は鉄砲を使って戦国に覇を築いた信長の合理精神に焦点を当てることで、兵器増産よりも精神論で戦争を遂行していた軍部を批判。
同じテーマを戦後に長編『信長』にまとめ、これが現代人の知る信長像の原型になったのである。
津本陽『下天は夢か』も、安吾の作った近代合理主義者=信長という系譜に属しているが、新史料を使いより現代的な解釈で信長を描いている。
例えば、大軍を率いる今川義元の首をわずかな兵力で獲った桶狭間の戦いは、運を天にまかせる大博奕に出た信長が、急な豪雨などの幸運もあって勝利したとされてきた。だが津本は偶然や幸運が信長の運命を左右したとの説を否定。
大量の忍びを放って今側軍の動きを的確に掴んでいた信長が、満を持して兵を動かしたとする。
情報の重要性を熟知していた信長は、その後も大量の情報を集め、それを分析して行動する慎重かつ確実な戦略によって、快進撃を続けたというのである。
『下天は夢か』が日本経済新聞に連載されたのは、1986年12月1日から89年7月30日のこと。コンピューター通信が本格的に運用され、ようやく情報化社会の重要性が議論され始めた80年代半ばに、津本はIT戦略で時代を切り開く信長像を作った。その先見性は、当時よりも現代の方が実感できるのではないだろうか。
家康の台詞が経営戦略に役立つとされ、”サラリーマンのバイブル”と称された山岡荘八『徳川家康』以降、歴史小説はサラリーマンが教養を身に付けるために読むことで発展した側面もある。
ビジネス雑誌で頻繁に戦国武将の特集が組まれるのも、そのためである。
津本も信長の活躍を通して、情報戦略や地方分権、無駄を排除する構造改革の重要性を指摘している。
急進的な革命児として人気の高かった信長とビジネスマン読者の多い日本経済新聞の出会いが、平成のベストセラーを生み出す一助になったことは間違いないだろう。
津本は、畿内を平定した信長が因習に満ちた朝廷や寺社の改革に着手したため、強大な抵抗勢力に謀殺されたとしている。今も『下天は夢か』人気が高いのは、政治改革や公務員改革に本気で取り組む強烈なリーダーシップを持った為政者が待ち望まれているからなのである。(文芸評論家)
以上です。