土、日雑感の日がやって来ました。
いつもの様に今日も伊藤 肇の「喜怒哀楽の人間学」を皆さんと一緒に見ていきましょう。 (この本は昭和53年に書かれています)
それではよろしくお願いします。
呉起の見落としたもの
現代の政治家や経営者たちがトップの座を交替する時には「こんなやりとりをしてもらいたい」と思うコクのある「応待辞令」が『史記列伝』に出ている。
「孫呉の兵法」という成語が残されたくらい、孫子と並び称せられた呉起が魏の国で重用されていた時、宰相を誰にするかという問題が起った。
呉起は自信満々で、当然、自分のところへ舞い込んでくると思い込んでいたのが、ライバルの田文のところへいってしまった。
面白くない呉起は直接、田文の許へのり込んで「君と俺とどちらがすぐれているか、比べてみようではないか」という。
呉起曰ク「君ト功ヲ論ゼン」と。田文曰ク「ヨシ」。ということで、軍事からはじまって行政、財政、外交とあげてゆく。
その一つ一つについて、田文は「そりゃ、呉起よ、お前にはかなわぬ」と兜をぬぐ。
そういわれて、調子にのった呉起「君の能力ははるかにわが下なのに位はわが上に居るのは一体、どういう了簡なのか」ときめつけると、田文曰ク「主、少クシテ国疑イ、大臣、未ダ随ワズ。百姓信ゼズ。其ノ時ニ方(あた)ッテ、之ヲ子ニ属センカ、之ヲ我ニ属センカ」。
先君が亡くなられた後、まだ幼君が位につかれたばかりで、国中がこれでやっていけるかどうか疑っている。大臣達もまだ先君の時のように心から随ってはいないし、民衆もまだ朝廷に全面的な信をよせていない。
そういう時の宰相の任は、君が適任と思うか、俺が適任と思うか。
しばらく考え込んだ呉起は「なるほど、君のほうが適任だ。よろしく頼む」という。
さすがに呉起も偉い。軍事だの、行政だの、外交だのと一つ一つの問題を取りあげれば、呉起のほうがよくできる。しかし、国をあげて不安な状態にある時には、手腕があるというだけでは宰相の役は勤まらない。
とにかく、その人がそのポストにいるというだけで国民が信頼し、安心する、ということが頭脳とか手腕などよりも根本的、本質的な問題として優先するのである。
いきりたっていた呉起も田文にいわれてそこに気がついたのだった。
今日は以上です。
お疲れ様でした。