今日も伊藤 肇の「喜怒哀楽の人間学」を皆さんと一緒に見て行きたいと思います。
昨日に続いてノートに残された箴言の数々の続編ということで見て行きます。
それでは今日もよろしくお願いします。
□ わたしは延命の願をしました。
まず、はじめは啄木の年を越えることでした。
第二の願をしました。
それは子規の年を越えることでした。
それを越えた時、第三の願をしました。
お父さん あなたの年を越えることでした。
それは私の必死の願でした。
ところが、それも越えることができたのです。
では、第四の願は?
それはお母さん あなたのお年に達することです。
もしも、それを越えることができたら最後の願をしたいのです。
それは世尊と同じ齢まで生きたいことです。
これ以上は決して願はかけませんからお守り下さい。
<啄木二十七歳。子規三十六歳。父四十二歳。母七十三歳。世尊八十歳>
―坂村真民
□ 自分より優れたる者を自分のまわりに集めし術を心得し者、ここに眠る
―アンドルー・カーネギー
□ 私は同時に三つの本を書いている。本を書くことは私の運命だ。
しかし、ゲーテと同様に少しでも静かな時をもって本を完成できたら、と思う。
あなたがたはゲーテが、その最後の著作を書き終えて、包んで紐をかけたことを
思い出すだろう。ゲーテはその時、こういった。
「今こそ満足だ。死を待つことができる」これはゲーテが死ぬ二ヵ月前であった。
―シュバイツェル
□ 釈迢空は、自分の作品が文学碑として石に刻んで建てられることを厳しく拒絶した。残るべきものは、作品みずからの力で残るという自負と潔癖さの故であろう。 ―岡野弘彦
□ 女房だろうと誰であろうと、人間を愛するためには、ある程度、噛まずに丸のみにしなくてはダメだ。牛肉だってあまりながく噛んでいると、うまくも何もないカスになってしまう。 ―石川達三
□ 「裸で寒くないようにするには、どうしたらいいでしょう」というと、「からだ中を顔にすればいいんだ」という話があるが、私は、できることなら、生活のあらゆることを趣味としたい。
小説を書くことも、私にとっては趣味なら、風呂場のタイルを磨くことも、スカートの丈をつめることも趣味でできるのである。
そうすれば、生活全体が遊びともなり、同時に、かなり本気の、うまくゆけば、生命を賭けるという状態の一歩手前くらいの厳しい仕事にもなりそうである。
―曾野綾子
□ われ男の子 意気の子 名の子 剣の子 詩の子 恋の子
ああもだえの子
―与謝野鉄幹
以上です。
お疲れ様でした。