今日も昨日に引き続いて伊藤 肇「喜怒哀楽の人間学」を皆さんと一緒に見ていきましょう。(この本は昭和53年に書かれたものです)
ワシントン・ポストの見識
スピーチにしゃべり方のうまい、下手はたしかにある。
しかし、何よりも肝腎なのは話の内容である。 内容が空疎では、いかにうまくぶちあげたところで、何の感銘も与えない。
恰好のエピソードがある。
アメリカ南北戦争は北軍の大勝利で終わり、盛大な祝賀会がもたれた。
北米きっての雄弁家といわれたエドガード・エバックは二時間半にわたる長弁舌で聴衆を魅了した。
終わった時には、会場の拍手は鳴りやまず、異様な興奮につつまれたほどだった。
ところが、そのあと、全く風采のあがらぬひげもじゃの男が登壇して、五分ほど、ボソボソと喋った。
声も小さくて、演壇から十列目くらいまでしか聞きとれなかった。
聴衆は一瞬、ポカンとしたが、やがて聞き耳をたて、やがてのことに意味がわかると、エバック以上の拍手を送った。
ひげの男というのは「奴隷解放の英雄」リンカーンだった。しかも、喋ったのは、ほんのわずかなことだった。
「正義が力であることを信じよう。信頼の上にたって、われわれは自分がなし得ると思う仕事の中でベストを尽くそう。その仕事を結集することが北アメリカ合衆国を一つの国家だけでなく、民主主義の典型にまで昇華せしめるであろう」
といい、最後を有名な”Of the people,by the people,for the people,”
<人民ノ、人民ニヨル人民ノタメノ>という民主主義宣言でしめくくった。
二つの演説を翌朝の新聞はどう扱ったか。
すべての新聞がエバックの大演説を見開きのニページにわたって報道した。
ところが、たった一紙、ワシントン・ポストだけはエバックを全く無視した。そして、わずか五分にも満たなかったリンカーンのスピーチをのせた。しかも、驚いたことには、スピーチの十倍にわたる解説を記者自らが書き加えてである。
現代では、このリンカーンの言葉は、小学校の教科書にさえも記載されているほど、誰もが知っているが、エバックの大演説は、再び、読みかえされたという話を聞かない。 華麗な表現のわりに内容が空疎だったからだ。
今日は以上です。
お疲れ様でした。