今日も伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」を皆さんと一緒に見ていこうと思いますが、なにぶんコンピュータの辞書にない漢字が出てきますのでそこの箇所はカナ表記で書きますので、よろしくお願いします。

なお、タイトルの後の部分は「ちょうけいうかい」といいますが意味と言うか、その指し示す所は後ほど出てきます。


それでは今日も始めます。

『十八史略』の中にも人相に関する話がアチコチに出てくる。

その中の一つに有名なハンレイの台詞がある。 越王、勾践(こうせん)を扶(たす)けて呉の国を平定したハンレイは、その直後に<どうも自分は越王に消されるかもしれない>という予感をもった。 


消されてはたまらないから、凱旋すると間もなく一書を呈し、


「昔から、主(あるじ)に憂ある時は臣たるもの労し、主、辱しめられたる時は死をもってあだを報ゆるべきものといわれています。 昔、君主は会稽山において、呉のために大恥辱にあわれましたが、あの時、臣が敢て死を選ばなかったのは、何時の日か、君主の御無念をそそがんものと、心の奥深く誓ったからであります。 しかし、今や宿敵、呉を平定し、臣の望は達せられました。 この上は、どうか、臣が君主の許(もと)を去ることをお許し頂きたい」と申し入れた。


寝耳に水と驚いた越王、勾践は直ちに返書をしたためた。


「何故、かくまでも唐突に余が許を去るなどと申すのか。 余は卿の苦労と大功を決して忘れはしない。 もし、待遇に不満があるなら、余はこの越を二分して持とう、どうか、去るなどという心は捨てて、余のもとにとどまってくれ。 しかし、それでも卿があくまでも立ち去るというのなら、余は心ならずも卿に誅(ちゅう)を下さねばならぬことになる」と半ばなだめ、半ば脅したのである


ハンレイまた書を送る。


「君主が臣を誅殺しようとお考えでしたら、そうなさるがよろしかろう。 ただ、臣は臣の思うところを行うまでです」

もちろん、この手紙が勾践の手もとへ着くころには、ハンレイは家財、珠玉を荷づくりし、家族や家来たちと船に乗って、行方しれずになっていた。


ひとまず、斉の国に落ちついたハンレイは心友の大夫<家老>文種に密書を送って逃亡をすすめた。

「勇略、主ヲ震ワス者は身危シ天下ヲ覆ウ者ハ賞セラレズ。 足下ノタメニ之ヲ危ブム


これに対して文種は決断できぬまま、次のような返事を書く。

「王ノ我ヲ遇スルコト甚ダ厚シ。 我ヲ載スルニ、ソノ車ヲ以テシ、我ニ衣スルニ、ソノ衣ヲ以テシ、我ニ食ワシムルニ、ソノ食ヲ以テス。 我、コレヲ聞ク。 人ノ車ニ乗ル者ハ人ノ患ヲ載ス。 人ノ衣ヲキル者ハ人ノ憂ヲ抱ク。 人ノ食ヲ食スル者ハ人ノ末ニ死ス。 我、アニ、利ニ向ッテ義ニ背クベケンヤ」


自分の意中を理解されぬことを口惜しがったハンレイが再度、密書を送っていわく「越王ハ人為(ひととなり)長頸烏カイナリ与(とも)ニ患難ヲ共ニスベキモ与ニ安楽ヲ共ニスベカラズ。 子、何ゾ去ラザル」。


長頸烏カイ」は「首が細長く、唇が鳥のようにとんがっている」という意味と「黒ずんでいる」というニ通りの解釈があるが、何れにしても人相のよくない独占欲が旺盛で猜疑心の強い凶相である。 そういう男とは「患難」を共にすることはわりあいできるものだが「安楽」とか「冨貴」をともにすることは難しい、と忠告したのである。


文種は、内心、ハッと思い当たる節があったが、人間の悲しさで、越王、勾践への未練が断ちきれなかった。

結局、文種はぐずぐずしていてハンレイの忠告に従わなかったことを悔いつつ、勾践から送られた剣に伏して自らの命を断った。



今日はここまでにします。 お疲れ様でした。


「長頸烏カイ」の相については私の人生経験からも確かにある様に思います。