今日は土曜日ですのでいつもの様に土、日雑感で伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」皆さんと一緒読んでいこうと思います。 (この本が書かれた時期は昭和53年です)


それでは見ていきます。

前回の土、日雑感で人品骨柄の人間学というタイトルで人相について見ていきましたが、「人相よりも後姿のほうがごまかしがきかない」というのは名古屋のスギー株式会社社長の小杉仁造男である。


「人間も真正面から見つめられると即応的に身構えるから、わりかしごまかしがきく。 だが、うしろ姿だけはどうやってみてものっぴきならぬものがでる。 特に首のうしろの肉がげっそりと削ぐように落ちたのは、もう影がうすいといってもいいだろう

たとえ、どんなに若造りしていても人はそのうしろ姿から年齢をかくすことはできない。 おのずと、その過ごしてきた職業の特徴をそれぞれの年輪にしたがって、うしろ姿に滲ませこれがまた味わい深い観ものともなるのである


だから、少女のころから老人になるまで名優で鳴らした田中絹代なども「映画の演技のなかで、一番むつかしくて、また味があるのは、カメラに背中をむけての芝居です。 それがうまくできたら、俳優も一人前といえましょう。 たまたま、私は、はじめのころから背中ばかり撮られていましたので、カメラが何処からきても動じない心構えだけは早くから身につきました」と書き遺している。


「社長」というのはPresidentである。

読んで字の如く「人前に」<Prae>「坐っている」<Sedeo>人である。


皆が彼のあとをついてくる。 だから、皆は彼を頼りにすることができるが彼自身は何処にむかって進むかを自分自身で決めねばならない。 皆は彼の後姿を見ているが、彼は誰の後姿も見ることはできない

そして、皆をリードするには後姿をもってするより他はない


孟子にも「面に見れ(あらわ)、背にあふる」とある。


人間は面よりも背のほうが大事だ。 徳や力というものは、まず面に現われるが、それが背中つまり後姿、肩や背にあふれるようになってこそホンモノである。

俗に「後光がさす」というが、前光よりも後光である。


今日はここまでにします。 お疲れ様でした。