今日も伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」の続きで鮎川義介を見て行きます。


財界の長老で女房以外に女をしらないのは石坂泰三と鮎川義介の二人ぐらいのものといわれていた。 だが、石坂は「何を隠そう、一度だけ失敗した」と告白しているので、実際は鮎川一人だけということになった。


そこで何かの話しのついでに「八十数年の生涯をホントに奥さんだけを守ってこられたのですか」ときいたら、たいして面白くもなさそうな顔で、「そうじゃ」と答えた。


<本人がいうんだから間違いはないだろう>と一穴居士の顔をまじまじ眺めていたら「女よりも仕事のほうが面白いにきまっとる。 大体、女に迷うような奴は志がない証拠じゃ」とやられて、びっくり仰天した。


中国の俗諺に「三人の女を互に喧嘩させないで、うまく御していくだけの力量がないと一国の総理にはなれない」というのがある。

それだけが宰相の資格とは思わないが、たしかに一面の真理を衝いている

女で苦労することによって、人間の複雑な心理や人情の機微や盲点がわかってくるからだ。


桜田門外の変に倒れた井伊直弼の生涯を描いた舟橋聖一の『花の生涯』に出てくる「たか女」の台詞に「女におくれをとるようでなくては、いっぱしの人物とは申せません。 偉大な人ほど、女にのぼせやすいものです

とあるが、人生から一切の無駄を排除した鮎川の合理主義は大変な長所であると同時に欠点だったといっていいだろう。


それはともかく、人間、晩年にさしかかると、何か一生懸命にやっている時、ふと通り魔のように「これが一体、何になるんだ」という声が聞こえてくる。 そして、一切が白々しくなる


誰しも、こんな兆候が周期的に起きてくるものだが鮎川に関する限り、絶対にこういうことはなかった

死の瞬間まで、仕事、仕事、仕事の連続だった。 これは芸術家肌の人間にはすべて共通する現象である


もう大分前に鬼籍の人となった通人画家、菅楯彦は瀕死の病床にありながら、しきりに絵を描きたがって看護の人たちを手こずらせた。

「絵がたんとあるねん」

「何処にですか」

「この中や」

楯彦は両手の甲を交互に撫でた。 そして、「もうニ、三十年生きんことには、この手の中にあるもん仕上げられへんなあ」といい、これが最後の言葉となった


楯彦の絵に対する執念も鮎川の仕事への執着も全く同質のものだが、逆説的にいえば、大煩悩、大執着の人間でなければ、一家をなすことができないということである。 その鮎川から厳しい質問を受けたことがある。


「君は口を開くと人間学だの、人物論だのと、えらいやかましいことをいうちょるが、どんな本を読んで勉強しちょるのかネ」


われわれ記者が人物論の手法を学ぶためにまっ先に読むのは、外国ものではステファン・ツバイクの全集である。 一方、日本のものでは、森鴎外の『渋江抽斎』である。

当然、鮎川の問に対して、『ステファン・ツバイク全集』と「森鴎外の『渋江抽斎』を挙げたことはいうまでもない。 ところが鮎川は木で鼻をくくったような調子で、つまらんものを読んどるのう」といった。


いささか、こちらもムッとして、「では、何を読んだらいいのか」ときくと、鮎川は核心をズバリと衝いてきた。

「いいかね、いかに小説が面白くても、歴史的な事実や迫力にはかなわないのだ。

そこで君にすすめたいのは『十八史略』を読んだらどうか、ということなんだ」


十八史略』とは中国歴史の入門書である。

多分、筆者が怪訝な顔でもしたのだろう。 鮎川がいった。

「君にきいても、無理だと思うが、『十八史略』の中に何人の人物が登場しているかわかるかネ」

もちろん、そんなことがわかるわけもないが、およその見当で「三千人くらいか」といったら「ノー。四五一七人だ。 しかも、その登場人物の性格が全部違うんだ。 したがって、これを徹底的に研究すれば、自ら、人間学とか、人物学とかが身についてくるのだ」といい、さらに読み方が大事なんだ。 つまり、古い暦でも繰るような調子でペラペラと読んだんじゃ、何のことか、さっぱりわからんだろうて。


ああいう本は『読書百篇、意自ら通ず』で、繰り返し、繰り返し読むことが大切なんだ。 読めば読むほど、味わいが出てくるし、人生が深くなる。 しかし、これは当たり前なんじゃ。 何しろ、無数の人間気の遠くなるような長い時間をかけて織りなした壮大な社会劇が『十八史略』なんじゃからな」とつけ加えた。


早速、「善はいそげ」とばかりに、自分でもわかりやすそうな一冊を買って帰り、取り組んでみたが、とんと歯が立たない。

仕方がないので、も一度、鮎川を訪ねて、かくかくしかじかだというと、鮎川は笑いながらいった。


「独学ということは、たしかに貴いことだし、偉いことだ。 だが、何処かに手前勝手な解釈や無理や未熟な点がのこるものでホンモノではない。 やはり正師について、本格的に学ぶべきだ」

「正師といわれたが、一体、誰を師とすればいいのか」ときくと、しばらく考えていたが、「それは安岡正篤をおいて右に出る師はないじゃろう」と断定した。


安岡正篤は日本一の陽明学者である。

しかも歴代総理の指南番(三木武夫、田中角栄を除く)で現実政治の内幕、厳しさにもよく通じている上に財界にも多くの弟子がいるから、経済界の事情にも極めて明るい。

 ということは『十八史略』の講義をききながら、現実の生々しい問題をも勉強できることになるのじゃ。 

バイロンもいっている。『将来に関する預言者の最善なるものは過去である』とな」

との鮎川のサゼッションだった。


本日はこれまでとします。

お疲れ様です。